今こそ考えよう 高齢者の終末期医療
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高齢者は死を恐れない
これまで私たち医師は、高齢者には死について話さないようにしてきました。怖がらせてしまうと思ったからです。しかし、実際には、死について話しても多くの高齢者は怖がることはありません。むしろ、死に対して自分の意見をはっきり言ってくれます。
ある88歳の女性患者さんは、胆石による胆嚢炎を何度も起こして、入退院を繰り返していました。再発を防ぐには胆のうを摘出するしかないことを家族に説明すると、「本人の意向に任せる」との事でした。本人に手術の話をしてみると、「自分はもう十分に生きた。これ以上は生きていたくない。友達もみんな死んでしまった。早くお迎えが来て欲しい」と言いました。私が「死ぬのは怖くないのですか」と聞くと、「全然怖くない。時々、死んだ友達が足もとに遊びに来る」と答え、死を達観しているように見えました。
また、外来通院している高齢の認知症患者さんに「人間は誰でも、死が近くなると食べたり飲んだりすることができなくなる。しかし、現代の医療は、鼻から管を入れたり、胃に穴を開けたりして、栄養を入れることができる。そうすると数年長く生きられる。意思表示できる今のうちに、経管栄養を希望するか、しないかについて、自分の意見を言っておくほうが良いですよ」と説明すると、ごく少数の人は「わからない」と答えますが、残りの人は「そんなことをしてまで生きていたくない」と言います。認知症があっても自分の生き方について意見を言えるのです。
そして、このような話をしても気持ちが落ち込む患者さんはいません。むしろ、「自分の希望を言えてよかった。これで心配がなくなった」と言います。高齢者は、私たちが考えている以上に死を自然なこととして受け止めているのではないでしょうか。
どのように人生を終えるかは重要なことです。高齢者の気持ちへの配慮から、その希望を聞かないでいると、本人が望まない医療が行われてしまう可能性があります。普段からどのような死を迎えたいか等について、家族で話し合うことが大切だと思います。(宮本礼子)
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数年前オヤジが無くなる直前。脳出血で、すでに意識のない状態で延命処置が取られていた。
その状況に、感謝する気持ちと、健康保険が破綻する仕組みが同時に交錯しました。
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死を恐れるか?恐れないか?は、死の数だけ在り方があると思います。
又、残された人がどの様に死を受け止めるかで、在り方は変化すると思います。
死ぬとき恐れていましたか?と、誰にも聞けないので想像するしかありませんが、
生きている間、死に向かっている最後の日々・・・
それらの中から、いくつものメッセージを必ず受け取れると思います。
父の最後、医師は私にもうどこも痛く感じてないと思いますよと伝えてくれました。
確かに苦しそうな顔をしていませんでした。
又、義父の最後もずっと病んでいてつらそうだったのに、その本人が不思議だな。
もうどこも痛く無いんだよといって穏やかでした。
ですから、恐れていたかもしれないけれど
最後の最後は恐れることなく逝く人が多いのではないか?と
この頃、人を送るたびに思います。
恐れている内は、まだ死は先なのかもしれません。
もし恐れている方がいらしたら、私はそのように伝えたいと思います。
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