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プロと実戦 夢は王手!…将棋の入門教室

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「ビギナーズセミナー」で増田裕司六段(右)と対局する(左から)岡田さん、長野さん(大阪市福島区で)

 将棋が人気だ。里見香奈女流四冠(20)ら若手の活躍や、棋士が主人公の漫画や小説のヒットでファン層も広がった。シニア世代にも駒や盤はなじみ深い。「趣味が高じて」「孫と楽しみたい」と、隊員2人がプロ棋士らに手ほどきを受けた。

「寄せ」テーマに

 「昔はよく縁台将棋を指したもんです」と話す大阪市旭区の岡田耕嗣さん(71)と、インターネット対局が趣味だという同市住之江区の長野和子さん(65)。どちらも我流で楽しんできたため、「定跡や戦術面の知識はさっぱり」という。

 訪れたのは、同市福島区の「関西将棋会館」。谷川浩司九段(50)や里見女流四冠が所属する日本将棋連盟の関西本部があり、4、5階の対局室では日々、棋士がしのぎを削っている。

 まず案内されたのは2階の道場。月に4回ある「ビギナーズセミナー」の日で、約20人が初級、中級に分かれて参加していた。2人は、公認将棋指導員の辻清治アマ五段(62)が講師を務める初級クラスに加わった。

 この日のテーマは「寄せ」。辻アマ五段が解説用の大盤を使い、どうすれば効果的に相手の王を追い詰められるかを講義。思い切って飛車や角といった大駒と交換した銀を生かし、一気にたたみかける手筋を伝授する。「思い描く寄せのイメージに、どう近づけていくかを考えて」という助言に、2人は真剣な表情で大盤を見つめた。

上達の三本柱

 講義の後は、いよいよプロ棋士との対局。指導役の増田裕司六段(41)は「駒の並べ方にも作法があります」と、最初に王、次に左の金、右の金、そして左の銀――と並べていく「大橋流」の手本を示し、同時に長野さんと岡田さんの相手をする「2面指し」で始まった。

 「そこは7七銀の方がよかったですね」。相手の飛車を威嚇しようと▲7七金(図〈1〉)とした長野さんに、増田六段の声が飛ぶ。なぜ、金より銀なのか。「問題は次の展開。斜め後ろに動けない金の弱点を突かれます」と、あっさり飛車で角を取られる点を指摘した。「なるほど」と長野さんがうなずく。

 岡田さんは序盤から金、銀、角で玉の周囲を固めた。「矢倉」と呼ばれる定跡で、「自然と身に着いた」という。だが、「玉の逃げ道を作る」狙いの▲9六歩(図〈2〉)に、増田六段は「やや先走った手ですね」。

 ポイントは増田六段の7三の銀という。「9七が空いたら、私は8四銀と攻め込んでいきます。常に相手の出方を予測しましょう」と指導した。

 対局後、増田六段が「江戸時代から伝わる良問です」と詰め将棋(図〈3〉)を出題した。「角で銀を取ったら」「いや、銀で王手をかける方が」。2人で意見を出し合ううち、岡田さんが「あっ」と声を上げた。5二角成で王手。銀を取らず、角を捨てるのがポイントだと気付き、「頭の体操になりますね」と笑顔を見せた。

 「上達の三本柱は、過去の対局を盤上で再現する棋譜並べと詰め将棋、そして実戦」と増田六段。岡田さんは「見よう見まねで覚えた定跡も、狙いや意図を教わるとより身につく。今度は孫と指してみます」と話し、長野さんは「プロの助言はすっと頭に入ります。私もセミナーに通おうかしら」と、さっそく事務局に問い合わせていた。(文・冨野洋平、写真・永尾泰史)

ボードゲームが起源

 起源は古代インドで生まれたボードゲーム「チャトランガ」で、西洋に渡ってチェスに、東洋に伝わって将棋に発展したとされる。日本には7世紀頃にもたらされ、ルールを改良しながら、15世紀半ばには縦横九つ計81升の盤面で互いに20枚の駒を用いて戦う今のスタイルが固まったという。他に、駒が46枚の中将棋や65枚の大将棋などもある。

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