認知症 明日へ
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[本人の思い]山本きみ子さん(1)もしかして私、認知症?
認知症になった時、自分ならどう生きたいか。周りの人はどう寄り添えばいいのだろうか――。増え続ける認知症の人たちを巡って、いま、医療や介護、社会のあり方が変わろうとしている。「認知症の明日」を考える年間企画では、まず、本人たちの声に耳を傾ける。(本田麻由美、写真も)
「のみ込めたかな? もう少し小さくした方がいい?」
冷たく澄んだ空気に、朝の日差しがまぶしい3月16日午前8時半過ぎ。富山市内にある認知症の人の通所施設「デイサービス木の実」では、看護師として週2回、パートで働く山本きみ子さん(62)が、果物を食べるお年寄りの介助をしていた。
そのそばを、次々と到着する利用者が通るたび、「おはようございます。今日はいい天気でうれしいね。春になってきたねぇ」などと、笑顔で声をかける。そんな彼女自身も、初期のアルツハイマー型認知症と診断された本人だ。
◇
「『もしかして私、認知症?』って疑ったのは、私自身だったんです」
きみ子さんは、そう言う。
それは2009年2月、保育所に勤めていた59歳の時だ。いつものように朝食を取りながら、夫に地域の行事について尋ねると、「昨日、夕飯の時に話したじゃないか」と言われた。しかし、話した記憶はまったくない。「そんなこと聞いてない」。強く言い返すと、夫はけげんな顔で反論した。かみ合わない会話に、ふと、「これは、きちんと診てもらわなきゃ・・・・・・」と思った。
これまで看護師として総合病院などで勤めた後、50歳代半ばで老人保健施設でも勤務した。病院では接する機会の少なかった認知症の高齢者が多く、どう対応していいか戸惑うこともあった。そこで、「認知症の人と家族の会」富山県支部の勉強会に参加。会員になって、本人や介護する家族の悩みに耳を傾けたり研修会に出席したりして、保育所勤務に変わってからも熱心に活動に取り組んできた。
こうした知識と経験が、自身の変化に敏感に反応させたのかもしれない。すぐに病院へと思ったが、「診てもらうといっても、勤めたことのある病院だと知り合いに会うかもしれない。それはちょっと恥ずかしいかな」と気が引けた。
そのため、勤務したことのない総合病院を自分で選んで受診した。CT(コンピューター断層撮影)検査と認知機能テストを受けたところ、特に問題は見つからなかった。「そんなはずないのでは?」と思い、さらに脳の血流をみる検査も受けた。その結果、前日の記憶がないといった症状と合わせ、「初期の若年性アルツハイマー型認知症」と診断された。
「あぁ、直感があたっていたな」
医師の説明を聞きながら、そんなことを思っていた。59歳で診断されたことに抵抗はあった。だが、「病院で働き、いろんな病気を知り、がんの痛みに苦しむ人などたくさん見てきた。年をとれば誰だって何か病気になる。私の場合、それが認知症だっただけ。少しずつ生活がしにくくなるだろうけど、それは助けてもらえばいい。何も特別なことじゃない」。案外、冷静に受け止められた。
一緒に診断を聞いた夫の雅英さん(64)は、「よく頭が真っ白になるとか聞くけど、私の場合はそうでもなかった。病気なんだというだけで・・・・・・」と振り返る。
認知症という名前は聞いたことはあったが、あまり知識もなかった。元来の楽天的な性格もあり、「なってしまったもん、どうなるもんでもない」と受け入れた。同時に、「先の分からないことをクヨクヨ思い悩んでも仕方ない。今できることを精一杯やるのがいい」と心に決めた。
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