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宋美玄のママライフ実況中継

医療・健康・介護のコラム

3.11から変わったもの、生まれるもの

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 今度の日曜日で東日本大震災のあの日から、間もなく一年経ちますね。亡くなられた方々のご冥福と残された方々の心の平安を改めてお祈りいたします。

 私は17年前の阪神大震災の時、神戸市東灘区の自宅で被災しました。見慣れた街並みが一夜にして変わり果てた姿になり、多くの方が亡くなりました。そして悲しみから少しずつ立ち直り、地元を愛する人の手によって何年もかけて元とは別の魅力的な街に復興しました。阪神大震災以外にも地震、台風、火山の噴火などの自然災害が、過去に度々日本を襲い、その度に力をあわせて復興してきました。

覆されたゼロリスク信仰

 しかし、東日本大震災は被害の大きさもさることながら、日本人の価値観をそれまでのものから大きく変えてしまったという点で、他の自然災害と異なるものだと思います。

 それまでの日本では知らず知らずのうちに「ゼロリスク信仰」が浸透していました。つまり「食べ物も乗り物も建物も安全で当たり前。そうでなかったら誰かが責任を取って、安心して暮らせる状態にしなければならない」という考えの人が大多数だったということです。

 ですが、今回の震災と福島第一原発の事故でそれが覆ってしまいました。

 発生当初は混乱もありましたが、1年が経過し、多くの人が今の「安全が当たり前ではない日本」をそれなりに受け入れて暮らしているように見えます。もしも「安心して暮らせる日本」に戻れるのならそう願いますが、戻せるものとそうでないものがありますし、かかるコストや代償についても広い視野を持って日本全体の幸せを考えなくてはいけないと思います。

 よく使われる表現である「安心して暮らせる」ということは、言い換えれば、それが安全なのかどうか無関心のまま暮らすことが出来る、ということではないでしょうか。しかし、もうエネルギーや食糧問題などに無関心のまま、安心して暮らすということは許されなくなったと思います。

 安心して暮らすなどということが出来たのは、恐らくここ数十年の日本人、もしくは先進国の一部の人たちだけで、もともと有史以来、地球上に暮らすすべての生き物にとって生きるということは生き延びるということでした。

産科医療も「不確実」

 近年、「安全が当たり前」と思われているのは食べ物や乗り物だけでなく、医療も当てはまると思います。病院に行きさえすれば助かる、命が救われなければ何かミスがあったのではないか、という風に思っている人も多いのではないでしょうか。

 その最たるものが妊娠出産です。妊娠出産は病気じゃない、自然にしていれば母子ともに健康に出産を終えることができる、と多くの人が実際に思っています。もちろんこのブログの読者の方々は、現実はそうではないことをご存じだと思いますが。

 不確実な産科医療を生業とする私にとって、「もういちど安心して暮らせる日本に戻して私たちをその上に置いてね、それがお上の務めでしょ」というのは、「出産は安全だから自宅で産んでも大丈夫よね、何かあったら救急車が迅速に病院に連れて行って助けてくれるよね、それが医者の務めでしょ」というのと一緒で、無理な相談だと思います。

 何も考えずにいられるほど安全なものなんて、実際のところこの世にそう滅多にありません。震災と原発事故の爪痕はいまだ大きく復興と収束の道のりは長いですが、ゼロリスク信仰が浸透していた日本人にもう一度足元を見つめなおすきっかけとなったと思います。

あの日から

 3.11当初、妊婦さんたちは、妊娠を継続し子育てしていくことに強い不安を訴えていました。しかし、それも数か月で落ち着いていたように感じます。特に、ゼロリスク神話の崩れた日本で子育てすることを受け入れて、3.11後に妊娠した人たちは、なんだか肝が据わっているように思いました。

 3.11で変わったもの、失われたものは多いですが、覚悟ある親たちから新しい命が生まれ続けています。

 私の娘もその一人です。娘にはこれからどんな日本になっても生きていけるように、生き延びる能力を身につけさせてあげたいと思っています。生まれつき安全が当たり前でない日本に生まれた子供たちが、日本列島をさらに魅力あるものに継いでくれますように。

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宋 美玄(そん・みひょん)

産婦人科医、医学博士。

1976年、神戸市生まれ。川崎医科大学講師、ロンドン大学病院留学を経て、2010年から国内で産婦人科医として勤務。主な著書に「女医が教える本当に気持ちのいいセックス」(ブックマン社)など。詳しくはこちら

このブログが本になりました。「内診台から覗いた高齢出産の真実」(中央公論新社、税別740円)。

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2件 のコメント

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新しい命に乾杯

k-かんちゃん

昨年2月広島から東京へ嫁いできたお嫁さんは地震のストレスばかりではないでしょうが4月に流産してしまいました。その後授かった命を大事に大事にはぐく...

昨年2月広島から東京へ嫁いできたお嫁さんは地震のストレスばかりではないでしょうが4月に流産してしまいました。
その後授かった命を大事に大事にはぐくんでいよいよ今月末に出産予定を迎えます。
東北地方から離れていても不安が多かったようですが東北地方で被災をして家族を失ったり放射能の心配の中での妊娠・出産を迎えたたくさんの若いご夫婦と新しい命の幸せを祈っています。

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絨毛検査や羊水検査

スウ

いつもブログを拝見しておりましたがこちらに移行しました。私は宋先生とは同年代の二人の子持ちです。つい最近二人目を妊娠した友人から相談を受けました...

いつもブログを拝見しておりましたがこちらに移行しました。

私は宋先生とは同年代の二人の子持ちです。つい最近二人目を妊娠した友人から相談を受けました。高齢出産になるから胎児の先天的の異常を見つけるための遺伝子検査を受けてみたいと。
大阪に専門の医院があるそうなのですが、先生もそのような検査を受けられましたか?またそのような検査についてはどのようなご意見をお持ちですか?
いろんなポイントで、そうだなーと思うことの多い先生のご意見を是非お聞きしたいです。

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