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[千玄室さん]一碗の茶 和の心結ぶ

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毎朝4時に起きて座禅を組み、朝食前に勉強をする。長寿の心得は「午後7時以降は飲食しないことです」(京都市の裏千家今日庵で)=川崎公太撮影

 シャカシャカシャカ――。東京・新宿区にある茶道裏千家東京道場の大広間に、茶筅(ちゃせん)の音が響く。指導にあたる千玄室さん(88)らが見守る中、緊張した面持ちの子どもたちが、並んで正座し、慣れない手つきでお茶を()てる。それぞれの親の元に運んで「どうぞ」とお辞儀すると、親たちは「ありがとう」と優しい笑みで応えていた。

 国内外の何十万という門弟を率いる家元の立場を長男に譲り、2004年から、小学生以下の子どもとその保護者を対象にした「和の学校」を主宰している。毎月1回、お茶の点て方・いただき方、和菓子づくりなどを学ぶ中で、日本人が見失いかけている“和の心”に触れ、親子の関係を見つめ直してもらいたいと始めたものだ。

 「一碗(いちわん)のお茶を媒介に『どうぞ』『お先に』とあいさつが交わされることで、人と人とのつながりが生まれ、感謝する心、敬い慈しむ心が育まれる。この茶の精神こそ、今の日本に必要なのです」

 そう語る目には、現代社会に対する憂いが宿る。

 千利休から続く家元の長男に生まれ、進学先すら自分で決められない窮屈な少年時代を過ごした。大学生だった1943年に学徒出陣が始まり、海軍に入隊。敗戦色が濃くなった45年3月、配属されていた徳島航空隊に、爆弾を抱えて敵艦に体当たりする「特攻隊」が編成されると志願した。戦友で、後に水戸黄門役で活躍した俳優の故・西村晃氏と組んで猛訓練を続けたが、仲間が次々に出撃する中、松山航空隊に転属命令を受け、終戦を迎えた。

 「自分だけ生き残って申し訳ない。愛する家族や国のために若い命を散らし、沖縄の海の底で眠る多くの戦友らの死を無駄にしないためにも、立派に復興を成し遂げねば」と、夢中で走り続けてきた。

 日本は経済大国になったが、伝統や精神文化は置き去りにされた。他者と比べ損得ばかりを思い、文句を言う。痛ましい事件が相次ぎ、年金など国が抱える諸問題が行き詰まっているのも、こうした日本人の心の荒廃が要因の一つではないか――。

 若者に夢をもたせることすらできない今の日本を、このままにはできない。そんな思いが募り、取り組んだのが、お茶を通じて豊かな心を取り戻す「和の学校」だった。

 特攻隊の生き残りとして、平和への思いも強い。家元時代から、戦没者などにお茶を(ささ)げて世界平和を祈願する「献茶式」を各国で行ってきたほか、茶道の普及のため、世界中を飛び回ってきた。訪れた国は62か国、延べ300回を超え、「お茶の外交」を通して各国の元首や宗教家との親交も深い。

 その間、99年に愛妻に先立たれ、4年後には次男を亡くすなど、個人的には平穏な時ばかりではなかった。それでも、「一碗から平和を」の精神を唱え、前に進んできた。

 東日本大震災では、仙台の母の実家をはじめ、多くの友人が被災した。とても他人事(ひとごと)とは思えず、すぐに義援金を持って現地に向かい、できる限りの支援を約束した。

 この震災をきっかけに、多くの国民が改めて人と人との絆の重要性を再認識した。「その絆をどう結んでいくか。それを実際の形で表したのが、お茶なのです」と威儀を正し、力強く説く。(本田麻由美)

 せん・げんしつ 茶道裏千家15代家元。1923年、京都市生まれ。同志社大法学部卒。64年に家元・宗室を襲名。2002年、長男に家元を譲り、大宗匠・玄室を名乗る。文化勲章、文化功労者国家顕彰など受章。日本政府の国連親善大使、観光親善大使のほか、日本馬術連盟会長も務める。

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