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カルテの余白に

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近畿大医学部主任教授 巽信二さん(上) 死者の声なき訴え聴く

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 伝えたいことがあってももう語れない、そんなひとたちの声なき声に、耳を傾ける医師がいる。近畿大医学部主任教授の巽信二さん(57)の専門は法医学。亡くなった人の体に残された痕跡から様々な情報を引き出す死因究明のエキスパートだ。死者の約3割は、死因が、すぐにはわからない。それを突き止めて伝えることは、死者本人や遺族の無念に寄り添うことにもなる。

警察から遺体の状況説明を聞く巽教授(大阪府大阪狭山市の近畿大学医学部で)=大久保忠司撮影

 

遺族の疑問に対応

 〈数年前の5月、生後半年の男児が自宅で朝、冷たくなっているのを両親が見つけた〉

 かわいい我が子を突然失った両親の心痛は、いかばかりでしょう。通常の業務からは外れますが、私も医者の端くれ、両親に直接お会いして「なぜ死ななければいけなかったのか……」という疑問に対して、きちんと応えようと思いました。

 この男児は、風邪を引き起こすウイルスの一種による肺炎と分かりました。「風邪らしい様子はなかったのに……」。救えなかった自分たちを責める両親に、私は「ウイルスは短時間で急に増えるので、気付かなかったのも無理はありません」と話し、「お子さんは苦しんでいませんよ」と伝えました。気丈に振る舞っていた二人の目から、涙があふれ出てきました。

 話しているうち、二人から弟か妹が生まれた場合に備えて、アドバイスを求める質問も受けました。死因や亡くなる直前の様子を理解することは、残された者にとって、前に進むために重要なことだと感じています。

原因究明怠らない

 〈病院内での突然死は医療過誤が疑われやすい。数年前、ある病院で帝王切開で出産した母親が、その日の夜、トイレで倒れた〉

 死因がわからなかったため、病院は警察に届け出て、私が、事件性の有無などを調べる「司法解剖」を担当しました。死因は、切開の傷痕にたまった血栓で肺の血管が詰まる肺血栓塞栓症。最近は、すぐに血栓溶解薬を投与するので問題は起きていません。しかし当時は危険性が十分認識されておらず、刑事責任が問われるような手術ミスとは認められませんでした。

 犯罪性はなかったので、夫からの電話に対し、縫合の仕方や、使われた糸、器具などに誤りはなく、防ぎ得ない事故だったと説明。「手術としてはきちんとなされていたが、それでも時に血栓がたまることはあるのです」と答えました。病院への不信感が払拭され、結果的に民事訴訟にも至らなかったようです。

 治療中の病気によって死亡したことが明らかでない限り、この病院のように「異状死」として警察に届け出て、司法解剖が必要かどうかの判断を委ねなければなりません。しかし、届け出の義務を知らず、異状死に対してやってはいけない病理解剖で死因を探ろうとする医師は実は少なくないのです。

 病院側がルールを守るのはもちろんのこと、遺族も死亡診断書の病名に心当たりがないなどの疑問点があれば主治医や警察に相談すべきです。死因究明をおろそかにしないことが、医療に対する国民の信頼にもつながるのです。

必要に応じ行政解剖

 〈犯罪性がない場合も、どんな病気で亡くなったのか突き止めることは重要だ。東京23区や大阪市など一部自治体では、国から認定された「監察医」が働く〉

 私は大阪府の監察医として、週1日は大阪市内の警察署や病院に出向きます。亡くなった時の状況などを検討し、必要なら、病名を確定させる「行政解剖」を行います。

 自宅で孤独死していた70歳代の女性は外傷がなく、虚血性心疾患にも見えました。しかし、肺がんの病歴があり、やせ細っていたことなど総合的にみて、行政解剖は行わずにがんの末期で衰弱したと判断しました。もしがん保険に入っていれば、がん死亡保険金が遺族に支払われるはずです。

 死因究明は死者の声なき訴えを聴く“問診”に似ています。火葬されれば、決して再診できません。故人の尊厳や遺族の利益を守るためにも、絶対に正確でなければなりません。(聞き手・山崎光祥)

 1954年生まれ、大阪市出身。80年に近畿大医学部を卒業後、「人はなぜ生きられるのか」について考えたくて法医学教室に入局。講師、助教授を経て2007年から現職。1985年には大阪府から監察医の委嘱を受けた。司法解剖はこれまでに2612件、行政解剖は1924件行っている。

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