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海原純子のハート通信

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海原純子 (うみはら ・ じゅんこ) プロフィール

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 1976年東京慈恵会医科大学卒業。日本医科大学特任教授。医学博士。2008-2010年、ハーバード大学及びDana-Farber研究所・客員研究員。現在はハーバード大学ヘルスコミュニケーション研究室と連携をとりながら研究活動を行っている。

 2007-2013年、年厚生労働省「健康大使」。

 心療内科医として心の問題をテーマに全国で講演活動を行うと共に、新聞などに執筆。現在、読売新聞「人生案内」回答者。近著に『大人の生き方 大人の死に方』(毎日新聞社)、『ツイッター幸福論』(角川書店)、『こころの格差社会』(角川書店)「家族の中の弱者と強者」(集英社)『会社でウツ休むと元気ハツラツな人』(文藝春秋)

 学生時代、歌手でバイトしながら卒業したが、医師となり音楽活動を休止。

 1999年からは、20年間休止していた歌手活動を再開。全国でライブを行っている。

 海原純子さんのホームページはこちら

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海原純子ブログ_顔87

海原 純子(うみはら じゅんこ)

1976年東京慈恵会医科大学卒業。日本医科大学特任教授。医学博士。2008-2010年、ハーバード大学及びDana-Farber研究所・客員研究員。現在はハーバード大学ヘルスコミュニケーション研究室と連携をとりながら研究活動を行っている。

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4件 のコメント

人恋し、孫3人に支えられ

きぬこ

79になる女性です。女の子と男の子を2人残して夫は先立ちました。長女は3人の子どもを連れて離婚し、近くのマンション住まい。長男は50過ぎて嫁も貰...

79になる女性です。女の子と男の子を2人残して夫は先立ちました。
長女は3人の子どもを連れて離婚し、近くのマンション住まい。
長男は50過ぎて嫁も貰わす私と一緒に暮らしています。嫁の話をすると激怒し、一生独身を通すといいます。
長女は派遣に仕事をし、生計を立てています。

私の趣味は日本舞踊、名取りになって10人ほどのお弟子さんの面倒見ていました。数年前から腰が痛く入退院を繰り返していました。そのためにお弟子さんに止めてもらいましたが1人だけどうしてもといい、2人で発表会をしました。

3人の孫は私に懐き、いつも私の所に来ております。でも、それには訳があり、長女は20歳も年下の男が家に入っているのです。男は孫たちをあまり可愛がらす、長女と夫婦のような関係になっています。

最近、二人の子どもを見ていると不安で、気が休まるのは孫と遊びに出かけることだけです。
先日高校の友人からクラス会の話を聞きました。昨年幹事をした男性に電話し、悩みを聞いて貰ったり、クラス会を開いて欲しいとお願いしました。

長女のことを話すと、相手の男性を大事にしなさいと言われ、ハッとしました。娘が選んだ大事な人なのに私は見捨てていたような気がしました。娘にも「お母さんに紹介してくれ」と頼むようにいわれ、その男性に合ってみようと思っています。

異性ですと私が気づかないことまで考えてくれました。残された命を、もっと楽しく生きなければと思った電話でした。

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婚活相談

けんた

先日の新聞で、ある女性が「婚活不調」と訴えておられました。先生は、年頃になって世間体が悪いとか概念捨てて、能力高めて行けば、よい出会いがあるよう...

先日の新聞で、ある女性が「婚活不調」と訴えて
おられました。
先生は、年頃になって世間体が悪いとか概念捨てて、
能力高めて行けば、よい出会いがあるような
ご回答でした。
本人は焦っているのです。確かな結婚相談所に
足運ぶとか、インチキでない占者に一度見てもらう
とか、親、親戚に写真配って、お見合い計画。
良い出会いを、多く作ることです。
最近男性は結婚恐怖症もあるのです。
相談者に迫る、的確な回答望まれています。

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亡き父に美しく老いよと言われ今理解した

おてんば、天真爛漫と言われて八十年過ぎた

振り向けば、八十歳を過ぎていた。そして、独り暮らしがはじまった。こうなるなんて少しも思っていなかった。気づいたら八十歳。気づくのが遅かったのか、...

振り向けば、八十歳を過ぎていた。そして、独り暮らしがはじまった。こうなるなんて少しも思っていなかった。気づいたら八十歳。気づくのが遅かったのか、否違います。一生懸命生きていたのだ。夢中になって恋をした。兄、姉、たちに反対されながら、必死に守ってくれた父がいた。ちなみに母は、病に伏していた。父は、夫の謙虚さと貧しかったが、善良な人間と認めてくれた。貧しい暮らしが何たるか解らずにいた。しかし、矢張り現実は厳しかった。公務員である夫とささやかなくらしを始めたが、何もなかった。私は、おのずから父に縋ったが、父は突き放した。仕方なく専門の洋裁の内職に励みながら、二人子をそだてた。考えると娘、息子二人にわたしが、育てられたのかもしれない。

自立した子供たちは、それぞれ家庭を築いている。独りになったと言って割り込む勇気はない。

父の口癖を今思い出している。「美しく老いよ」若者のはちきれるような機敏さも、美しさもないが、心だけは美しくなれと何時も言われた。相手を思い遣る余裕のある暮らしがしたい。友人とは、毎月会うが、皆、身だしなみもよい。言葉づかいに愛情を感じる。ある、著名な医師が、「お互いに歳をとりましたね。」とお手紙をくださる。その一言が嬉しい。思いやりある言葉を最近多く頂く。静かな老後を送りたい。

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