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外科の進歩で人は幸せになったか(1)患者に優しく 目指してきた

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負担少ない手術普及 検診で早期発見大切

 「外科の進歩で人は幸せになったか」をテーマに、第44回万国外科学会市民公開講座が8月27日、横浜市のパシフィコ横浜で開かれた。外科学の発展と国際協力を目的とする同学会が同月28日から9月1日まで開かれたのにあわせて、一般市民向けに外科学の進歩をわかりやすく解説する企画。体への負担が少ない内視鏡、腹腔鏡(ふくくうきょう)手術の普及ぶりや、検診や早期発見の大切さが、専門家やがん経験者によって説明され、訪れた約900人の参加者が聞き入った。

 主催 第44回万国外科学会組織委員会 内閣府日本学術会議
 後援 読売新聞社
 協賛 大塚製薬工場 大鵬薬品工業 中外製薬 ツムラ ヤクルト本社

【基調報告】
北島政樹  国際医療福祉大学学長、万国外科学会前会長
【講演】
木下貴之  国立がん研究センター中央病院乳腺腫瘍外科長
北川雄光  慶応義塾大学医学部外科教授・腫瘍センター長
若林剛   岩手医科大学医学部外科教授
渡辺昌彦  第44回万国外科学会組織委員長・北里大学医学部外科教授
仁科亜季子 女優
鳥越俊太郎 ジャーナリスト
【司会】
関谷亜矢子 アナウンサー


北島政樹さん 国際医療福祉大学学長、万国外科学会前会長

北島政樹さん

 外科の歴史は、大きく切って大きく傷を残す手術から、小さい傷で患者さんに優しい手術を目指してきた歴史です。「外科」という言葉は、英語、ドイツ語などでは、「手」と「技」を組み合わせています。

 石器時代には、血を抜き取る瀉血(しゃけつ)などの治療が既に行われていました。古代ギリシャでは、ヒポクラテスが紀元前に外科を学問として体系化し、外科の手技や消毒法もこのころ始まりました。

 中世に移ると、医療は理髪師や錬金術師が行いました。血液は循環しているという現在の医学の常識は、17世紀に証明されました。

 そして1774年、日本では、杉田玄白、前野良沢が死刑囚の解剖を見学し、「解体新書」をオランダ語から日本語に訳して出版しました。1804年には、漢方と蘭学(らんがく)の両方を学んだ華岡青洲が、チョウセンアサガオを使った麻酔薬「通仙散」を作り、全身麻酔で乳がん手術を行いました。米国で全身麻酔の手術が行われる約40年も前に、日本で行っていたのです。

 華岡はまず母親に低用量で試し、それから妻に手術ができる用量を投与して麻酔がかかることを確かめました。しかし、妻はそれで失明したと言われています。

 その後、色々な消毒法、無菌法が生まれ、1929年にはペニシリンが発見され、色々な手術が安全にできるようになりました。

 外国から日本への医学の伝導は、奈良時代までに中国の医術が入ってきました。西洋医学は、長崎の出島に来たシーボルトが日本の若者に教え、この蘭学が現代の医学を先導したのです。

 緒方洪庵は大阪で蘭学を教える「適塾」を作って、大勢の塾生を輩出しました。福沢諭吉は適塾で蘭学を学んで1858年、江戸に蘭学塾を作り、これが慶応義塾の始まりということです。

関谷亜矢子アナウンサー

 1883年に書かれた論考で、福沢は「医術進歩の道を案ずるに、十中八九、器械的に頼らざるものなし。子宮、直腸、または膀胱(ぼうこう)、胃の裏面のごときは、針のような器械を入れて、その実況を写し見ることになるだろう。医学は外科より進歩す」と記しました。今から120年以上前、既に内視鏡の手術の時代が来ると予見していたのです。

 外科の進歩によって人は幸福になったか。「医学は外科より進歩す」という言葉がその結論だと思います。

 その後、東京大学の前身でドイツの医師から教育を受けた医師が全国に散らばりました。第2次世界大戦後、米国医学が入り、日本の医療は国際化しました。

 華岡青洲は「内外合一、活物窮理」と言っています。外科医は内科の知識も十分に備え、その知識を適切な手術適用の決定や、手術後の管理に生かさなければならないという意味です。

 ぜひこのことに焦点を当て、ほかの先生方の講演を聴いてください。

 きたじま・まさき 1966年、慶応大医学部卒。同大病院長、同大医学部長などを経て、2009年から現職。国際消化器外科学会会長。

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