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医療功労賞 被災者に寄り添う受賞者たち

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被曝から子ども守りたい(1)

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第40回の候補者募集 締め切り迫る

 困難な環境下で献身的に活動する医療従事者を顕彰する「第40回医療功労賞」(読売新聞社主催、厚生労働省、日本テレビ放送網後援、エーザイ協賛)の候補者を募集しています。締め切りは、国内部門が9月30日、海外部門は10月31日。この賞は、国内外の医療過疎地や激務が続く都市部の救急医療の現場、難病の専門医療施設など、幅広い地域・職種の医療関係者の功績に光を当てることを目的に、1972年に創設されました。これまでの全国表彰者(海外部門含む)は計642人。東日本大震災が発生した今年はその中から、災害医療に深くかかわり、今も活躍する3人の医師を紹介します。

第28回受賞 菅谷昭(すげのや・あきら)さん

 「呼吸などで放射性物質が体内に取り込まれる内部被曝(ひばく)が一番の問題。影響を受けやすい子供と妊産婦は、国民全体で守らなければなりません」

 原発事故の発生から2か月が過ぎた5月14日、福島市の保育園。菅谷昭さん(67)は、見えない放射線の恐怖におびえる母親らに、静かな口調で語りかけた。

 菅谷さんは、長野県松本市長だが、四半世紀前に起きたチェルノブイリ原発事故の後、被災地・ベラルーシで甲状腺がんの子供を治療した医師でもある。

 この日は、その経験を基に、子供たちを被曝から守る方法をアドバイスした。

 「放射線がおなかの赤ちゃんに与える影響が心配」

 「外で遊ばせても大丈夫なのでしょうか」

 母親たちの悲痛な質問は尽きない。ふと、ベラルーシの母親たちの顔が脳裏に浮かんだ。

 あの時、子供を外で遊ばせなければ、イチゴをとりに森に連れていかなければ……。チェルノブイリの事故後、子供の甲状腺がんの発生率は大幅に高まった。母親たちはそんな自責の念に苦しめられた。「日本は、チェルノブイリの経験に学ばなければいけません」

 ベラルーシとの関わりは、運命だったのかもしれない。

 菅谷さんは1943年に生まれた。7人きょうだいの末っ子で、実家は、曽祖父の代から父親まで3代続く開業医だ。母親が占ってもらったところ、43歳で死ぬと言われていた。チェルノブイリの事故は、菅谷さんが43歳だった86年に起きた。

 20、30歳代は甲状腺の専門医として、大学の付属病院で何不自由なく働いてきた。やりがいもあった。だが、次第に忙しさに追われる毎日に疑問を感じ始めた。占いのことが頭をよぎるようになったのは、不惑を過ぎた頃だった。

 駆けだし時代、「診てもらってよかった」と思われる医師が理想だった。それは、夜遅くまでオートバイで往診に駆け回った父の姿と重なる。白い巨塔でそれができているか自分に問いかけた。答えは「否」だった。

 医療功労賞の詳細は、ホームページ(http://event.yomiuri.co.jp/2011/iryo-40th/)に掲載されています。

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