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[納谷幸喜さん(元横綱・大鵬)]「忍」を学んだ森へ恩返し

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「体を動かすことはいいことだ」と、青少年の健全育成にも思いをはせる(東京都江東区で)=片岡航希撮影

 ぎゅっと握った右手の跡がそのまま彫り込まれた木製のタンブラーや、「たいほうちゃん積み木」――。国産材を使ったオリジナル商品を製作し、森林保全活動に取り組むとともに、売り上げの一部を環境保全団体などに寄付している。「木のおもちゃは落としても壊れない。おわんは使い込むほど味が出て、温かみを感じさせる」

 妻の芳子さん(64)と、林野庁の「美しい森林づくり推進国民運動」のフォレスト・サポーターズにも登録。「日本の美しい自然環境を守る活動の役に立ちたい。物の大切さも訴えていきたい」と力を込める。

 森林には忘れられない思い出がある。角界入りを勧められたのは、高校の定時制に通いながら、北海道・弟子屈(てしかが)の営林署で働き始めた頃。海抜800メートルの山で雑草を刈り、1日200~300本の苗木を植えた経験があるからだ。

 スカウトされ、何も知らずに16歳で飛び込んだ相撲社会では、とにかく我慢した。寒冷地では、何十年もかけて木が育つ。「それらの木のように、人生は忍の一字だと思って耐えてきた」

 その努力が報われ、1961年、当時の史上最年少(21歳3か月)で横綱に昇進。入幕してから引退するまでの12年間、年に最低1場所は優勝し、6連覇も2回果たした。高度成長期の日本を象徴する国民的なヒーローだった。

 巡業先の秋田県で知り合った芳子さんと、27歳の誕生日の翌日に挙式。「ここまでこられたのも、大勢の人が支えてくれたお陰。俺たちだけが幸せではいけない」と夫婦で話し合った。結婚後2年間は、高齢者施設などにテレビを寄贈。日本相撲協会が献血運動に協力していた縁から、血液運搬車に切り替え、一昨年、累計70台になるまで寄贈を続けた。大鵬の名入りの浴衣やバスタオルなど、ファンに買ってもらった売り上げも社会貢献活動に充ててきた。

 新たに商品化した木製のストラップには「夢」の文字が刻まれている。

 「普通の人は最初に夢を持つ。自分は『忍』から始めて、あとから夢が実現した」。夢には続きがある。人は死ぬまで自分との闘いであり、「己に勝つことが大事」とも話す。

 東日本大震災では、自然の力の怖さを思い知らされた。想定外の地震や津波に襲われたが、相撲にも「絶対大丈夫」はないと言う。「毎日稽古し続けても終わりはない。上には上がいると努力しないと」

 復興支援のため、大嶽部屋(旧大鵬部屋)の力士らと街頭募金を行った。うれしかったのは、「おやじ」と慕ってくれる横綱白鵬が、東北の被災地で土俵入りをしたと聞いたこと。横綱の四股には、悪霊を退散させる力があると言われている。

 建て替え中の相撲部屋は近く完成し、大鵬道場の看板も掲げられる予定だ。地元の区民祭りにも参加する。「これからの日本を支える若木のような青少年の健全な育成を手伝えたらうれしい」

 36歳の時に発症した脳梗塞の後遺症などから、車いすや酸素吸入器が欠かせない。しかし、「現役時代から年配のファンに支えられてきた。80歳、90歳になっても元気な人が多く、71歳の私も負けてはいられない」と意気盛ん。一番の元気の源は9人の孫たち。わんぱく相撲で活躍し、「32回の優勝記録を破るからね」と言ってくれる孫もいるそうだ。(内田健司)

 なや・こうき 1940年、樺太生まれ。父は白系ロシア人。71年夏場所、貴ノ花(元大関)に敗れて引退を表明。幕内優勝32回は最多。部屋を構えた東京都江東区の名誉区民。2009年、文化功労者。

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