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作家・眉村卓さんインタビュー全文(1)妻のがん判明、5年生存率は「ゼロ」

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 作家の眉村卓さん(76)は、妻の悦子さんを、大腸がんのため2002年に亡くした。悦子さんの闘病中、ショートショートを毎日1話ずつ、計1778話つづったエピソードは、今年初めに映画化もされた。大切な人を失った後の心の立て直し方について話を聞いた。(針原陽子)

眉村卓(まゆむら・たく)
 1934年、大阪市生まれ。小説家、日本ペンクラブ理事。作品に「なぞの転校生」「ねらわれた学園」「消滅の光輪」などがある。最新刊は「しょーもない、コキ」(出版芸術社、1365円)。

 ――闘病中の奥さんの様子は。

 眉村 家内が大腸がんと診断されたのは、1997年6月のことでした。進行がんで、がん細胞がお腹の中にこぼれ落ちる「播種」が腹膜にあると言われました。主治医に余命を聞くと、はっきり言いません。でも、5年生存率を聞くと「ゼロです」。主治医は率直な人で、全部ちゃんと言ってくれるので、余命のことは除き、家内にも病気のことを話しました。主治医は関西人なので、検査の結果を言う前に「やっぱり(細胞が)がんの顔してましたわ」とか言うんですよ。安心してお任せできる主治医に会えたのは幸運でした。

 それに、家内のがんの状態は、病気がわかって2年目ぐらいまでは案外よく、「進行が遅く、ほとんど大きくなっていないのではないか」と言われました。それで、行けるうちにと、イギリス旅行にも出かけました。

妻に捧げる「1日1話」

 ――「1日1話」を始めたのはなぜですか。

 眉村 後になってから「笑うことで免疫を上げるため」と言っていましたが、家内のために、ほかにできることがなかったからです。家内は退院して家にいて、私もできるだけ外出を減らすようにしました。でも、看病するにしても、素人ができることはそんなにない。家事はそれなりに出来ましたが、食事はほとんど作れなかったし。

 私は当時、何本かの連載が終わった時期でしたが、世間の風潮で「SF」が敬遠され、自分の書きたいものが書けない状態でした。一方で、家内も、自分の病気のために、私が仕事をしなくなるのは嫌がっていました。それではと、「ショートショートを毎日1本ずつ書くから、読んでくれないか」と言うと、家内も承知してくれました。

 ――毎日1話書くのは大変だったでしょう。

 眉村 毎日、夜の12時までに書き上げるということを決め、旅行したりする時は、自宅へFAXで送りました。

 病人に読ませるわけですから、「にやりと笑える話」を書こうと決めていて、殺人とか不倫などはテーマから除外していました。だんだんネタに詰まってきますが、1時間も考えればアイデアが浮かびます。そして、書いている間は、家内の病気のことなども頭からなくなって、単なる物書きになるんですよ。書くことを苦痛だと思ったことは一度もありませんでした。娘も「お父さんは、書いている間は逃避できたのかもしれないね」と言っていました。

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