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[浅野史郎さん]白血病体験を生かす使命

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「体調の回復具合をみながら、講義やゼミのコマ数を増やしていきますよ」(神奈川県藤沢市の慶応大学・湘南藤沢キャンパスで)=工藤菜穂撮影

 「放射能汚染は、これから子供を持つ若者にとって大きな関心事であるはず。『本物の民主主義』を根付かせるためには、若い皆さんが無関心であってはいけない」。神奈川県藤沢市の慶応大学。「政策協働論」の講義で、張りのある声を響かせた。

 成人T細胞白血病(ATL)で2年間、闘病生活を送り、5月に教壇に戻った。免疫力は十分に回復しておらず、感染症予防のためタクシーで通勤し、マスクも欠かさない。

 宮城県知事を1993年から3期12年務め、官僚出身の改革派知事として鳴らした。退任後、大学教授に。テレビやシンポジウムで、市民が積極的にかかわる地域作りを訴えてきた。その経験に基づく民主主義や地方自治への思いは、少しも熱を失っていない。

 ATLは、授乳などによるウイルス感染が原因の血液がん。倦怠(けんたい)感や発熱などの症状が出て、骨髄移植が必要になる難しい病気だ。

 2005年に献血した際、ATLの原因ウイルスに感染していることが判明。感染者のうちATLを発症するのは約5%だけだが、念のために定期検査を続けていた。

 体調は良く、報道番組のコメンテーターとしてお茶の間の顔に。趣味のジョギングも続け、東京マラソンを4時間余で完走した。ところが、09年5月、医師から「いくつかの検査数値が極めて高い」と告げられた。「まさか自分が……」とぼう然としたという。

 すべての仕事をキャンセルし、骨髄提供者が見つかるまでの間、抗がん剤治療を受けるため、都内の病院に入院した。吐き気や口内炎などの副作用に悩まされたが、思ったほどの苦痛はなかった。

 それでも時折、死の影におびえ、弱気になった。そんな時、旧厚生省の官僚時代から交流のある障害者たちのことが、頭をよぎった。ハンディキャップをものともせず、働いたり、芸術やスポーツで活躍したりする人たち……。

 アメリカでは、障害者を「挑戦する機会を与えられた人」という意味で、「チャレンジド」と呼ぶ。「自分の病気も、神様から与えられた使命なのではないか?」

 前向きな気持ちが闘病を支えた。「退院後、またジョギングができるように」と、病室でスクワット運動を行い、右ひざを剥離骨折して医師たちを慌てさせた。幸い骨髄提供者が見つかり、移植は成功。昨年2月、退院した。

 浅野さんの闘病がきっかけとなり、政府は昨年9月、患者団体の長年の要請に応え、ATLの抜本対策に乗り出した。「病気になった意義」を感じた。これからも難病対策などで、「神様から与えられた使命」を果たしていくつもりだ。

 闘病を振り返ると、いつも誰かに支えられていた。家族や友人、骨髄提供者はもちろん、名も知らぬ多くの人たちから、励ましの便りをもらった。「人生には避けられない苦難がある。でも、それを乗り越えようとする時、必ず誰かが支えてくれる。マラソンの伴走者のようにね」。東日本大震災の被災者にも思いをはせ、エールを送る。

 この春から、調子の良い日に約20分のウオーキングを楽しんでいる。「いずれはジョギングに変えたい。そして、レースに出場できたら最高ですね」(安田武晴)

あさの・しろう 慶応大学総合政策学部教授。1948年生まれ。旧厚生省のキャリア官僚から宮城県知事に転身、情報公開や障害者福祉に力を入れた。06年4月から現職。

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