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[風間杜夫さん]DIYで「楽しみ」作り出す

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「作ったものが、翌月壊れてしまうこともある。それも含めて、DIYの楽しさ」(千葉県内の自宅で)

 千葉・房総半島の南東部。川沿いにある自宅は、建てられてから40年以上にもなる。10年ほど前に購入し、自ら手を加えながら、暮らしている。身の回りの物を手作りするDIY。「Do It Yourself」の頭文字をとった略語で「自分でつくろう」という意味だ。実際、車庫をのぞかせてもらうと、ノコギリやヤスリなどの工具類が無造作に置かれていた。

 本格的に手を入れ始めたのは、2002年の再婚後だった。60歳目前。新しい家族を迎えるために、柱や外壁を残して内壁や床を外し、居間の一部を除いて自分で造り直すことにした。台所は、妻の気に入ったシンクや蛇口、食洗機に合わせて新しく造った。昨年は大きくなった子どものため、専用の部屋も設けた。「DIYは作って終わりではないんです。ペンキの塗り直しや修理があり、完成がない。楽しみに限りがありません」

 子どもの頃から、物を作ることが好きだった。木を削っては好きな船や飛行機の模型を作った。将来は映画やテレビの特撮用セットを制作する会社に入りたいと考え、大学時代にはテレビ局の特撮部門でアルバイトしていたほど。

 同時に、米国のフォーク音楽にあこがれ、学生仲間とバンド活動もしていた。レコード会社に就職した先輩から頼まれて、ある曲を歌ったところ、トントン拍子で発売が決まり、30万枚のヒット作に。紅白歌合戦にも出場。これが名曲「バラが咲いた」だった。

 しかし、思い描いた自分とは違う歌手の「マイク真木」が独り歩きを始め、戸惑った。現実から逃れるように米国に渡り、1年半ほど、キャンピングカーで各地を旅した。

 そこで出会ったのが、何でも自分でこなす米国の男たちだった。当たり前のように家や車を修理したり、芝刈りをしたり。「テレビの前に座って『おーい、お茶』なんて言っている日本のお父さんたちとは違っていた」

 帰国後、歌手として生きることを決めた。会社員のような保証はなく不安も大きかったが、芸能事務所に所属せず、自分で仕事を見つけた。「自分でやれば、人に命令されることもなく、時間は自分のものになる。結果は自分の責任」

 仕事をしながら、好きなDIYも続けた。「日本では仕事一筋の人が尊敬されるけど、楽しみはほかにもたくさんある。やりたいことはやらないと」。路線バスの車両を小屋に改造して、山梨県にあるキャンプ場に置かせてもらった。ログハウスを建てたことも。1990年代に6年間過ごしたハワイでも、古い家を修理しながら過ごした。

 年齢を重ねるにつれて、体力は衰えてきた。東日本大震災以降、慈善コンサートへの出演依頼が増えたが、千葉から通うのはきつく、東京都内を拠点に活動している。DIYも、重い物を運べなくなり、高い場所では足元がおぼつかなくなり危険を感じるように。

 ただ、心の持ち方は変わらない。「自分でできることは自分でしたい。どこまでできるか。チャレンジし続けながら、人生を終わるのかな」

 定年後、何をしていいか分からない人が多いと聞くと驚くという。何でも自分でやろうとすれば、毎日しなければならないことと、したいことだらけだからだ。「楽しみはお金を出して与えてもらうのではなく、自ら作り出していくものだと思っています」(西内高志)

 まいく・まき 歌手・俳優。1944年、東京生まれ。66年に「バラが咲いた」でデビュー。97年のテレビドラマ「ビーチボーイズ」に出演。現在、BSフジ「beポンキッキーズ」に出演中。

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