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基調講演(2)あふれる思いやりの気持ち…香山リカさん

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「不安の時代に心を保つ」

 うつ病が増加し、13年間連続で年間3万人を超す人が自ら命を絶つなど、いろんな問題を抱える中で、今回、東日本大震災が起きました。

 この大変な災害の中でも非常に落ち着いて行動する被災者は多く、お互いに助け合って、自分よりも人のことを思って行動する人たちがいらしたことは、さまざまなメディアでも報道されました。

 被災地以外でも、多くの人たちが義援金を出したり、ボランティアに出かけたり、被災者の方たちの助けになりたいと考えて行動した人が多かったと思います。

 この思いやりの気持ち、相手の立場に立って親身になることができるということは素晴らしいことです。ただ、100%すばらしい、美しいことだとだけ言っていられない面もあります。

 私の診察室に来る方でも、被災地のニュースを見るだけでもう涙がとまらない、仕事が手につかない、被災地の人たちのためにも何かしなきゃと思っているんだけども、何か気持ちがざわざわして落ち着かないという状況になっていた人も少なくありませんでした。

 あるいは、被災地の人のために何かしたいんだけど、できない自分が情けない。ボランティアに今すぐ行けるわけでもない。義援金にしても、誰々さんは2億円とか、10億円みたいな話を耳にするが、「私は500円も厳しい。支援物資を送りたいけど、送るようなものもない」と自分を責め、そして落ち込むような方もいました。

共感することで疲労してしまう…支援とは逆の結果に

 非常に厳しい状況にある人に同情・共感し過ぎる余り、そのケアをする人までがダメージを受けることがあります。最近の精神医学とか臨床心理学では、「共感疲労」、共感することで疲労してしまうという概念が注目され始めています。

 思いやりがあり過ぎて自分までがめげてしまう、あるいは、もうそこで何もできない自分を責め過ぎ、それで落ち込んで自信を失ってしまうなんていうのは、それはほんとうに優しさの結果なんです。でも、これはまた、支援するということとは逆になってしまいますよね。

 私の患者さんの家族でも、個人的なことをちょっと抜かしてしゃべると、こんな人がいました。その方のお父さんが地震の状況を見てものすごく心を痛めて、ある日、家で宣言したんだそうです。「これからはうちも避難所と同じように過ごそう」って。「もう食べ物もおにぎりだけだ。床に毛布を敷いて寝ろ」、「暖房を消せ」、「避難所の人たちの痛みを経験するために、うちを避難所のようにして生活するんだ」って言い出したんですって。

 そして実際にそれをやったら、お父さんが一番先に風邪を引いて具合が悪くなって、救急車で病院に運ばれたんです。

 これ、典型的、象徴的な話ですね。その心がけは美しいというか、立派というか。だけど、結果的に救急車を呼んで、病院で点滴を受けたりするのでは、被災した方たちの何の役にも立っていないですよね。

 それよりは、被災してない私たちは、普通に生活をし、ちゃんとおいしい物を食べて、暖かい布団で寝て、それでお風呂に入るというほうが、よっぽど被災地の方たちのためにもプラスになるんじゃないかと思うんですよ。

 今回はこれだけの規模の災害なので、支援も非常に長期間にわたって必要になるし、どんな形の支援が必要になるかもわからない。多分、来年も再来年も5年後もボランティアが必要になるかもしれない。だから、その時だっていい。

 むしろ、みんなが行かなくなった時期にこそボランティアが必要になるかもしれない、義援金にしてもみんながもう出さなくなった頃にも必要とされるかもしれない。

いつか来る出番に備えることが大事

 だから、別に今すぐ出番だと思って動かなくても、今は自分の生活を整えて、健康を保って、そのいつか来る出番に備えることが大事です。

 あるいは、そこへ行かなくても、私が住んでいるまちに被災者の方が引っ越してくるとか、何か全く思わぬ形でお手伝いをする場面も絶対出てくる。だから、今、慌てふためいて持ち金を全部義援金に出してしまうとか、あるいは自分も体が今弱っているのに、ボランティアだとか言って被災地まで飛んでいって向こうで倒れたとか、そんなことをするのはあんまり得策ではない。

 まずは自分を保つこと。自分で自分を守ることが支援、間接的であっても支援になるんじゃないかと、私は思います。

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