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初恋の人 竹村英輔君
先週のブログで「あなたの初恋は何歳でしたか」とお尋ねしました。
わたしの初恋の人は、小学校の同期生・竹村英輔君です。拙著『高齢恋愛』(2004年刊)で、わたしは次のように告白しています。
◇◇◇ ◇◆◇ ◇◇◇
全校集会で凛とした声で号令をかけていた竹村英輔君は成績優秀で、府立五中(現在の都立小石川高校)に進学。わたしはミッションスクールの女子聖学院に入学しました。
あるとき、通学途中の車窓から竹村君を見つけ、胸がどきどきでした。心をときめかせるということがどういうものなのか、このとき、はじめて知りました。
戦争が終わってまだ間もないころ、電車のなかで黒い学生服を着て本を読んでいる竹村英輔君と出会ったのです。
まったくの偶然ですが、すぐに「あっ、竹村君だ」とわかりました。襟元には銀杏の記章が光っています。
「秀才の英輔君は東大生になったんだ」
声をかけようかためらっているうちに数駅が過ぎ、彼は降りていってしまいました。
それからまた長い長い時間が流れました。小学校卒業以来、37年ぶりの同期会が焼け残った小学校の教室で開かれたのです。生活感あふれる中年のおじさん、おばさんに変貌をとげていても、気持ちはだれもが子ども時代にもどっていました。
そして、そのなかに竹村君を探すわたしがいました。
自己紹介のとき、彼が語った近況によると、大学で社会学を講じているとか・・・。
その当時、わたしは離婚という苦い人生のトンネルをくぐりぬけ、教職員組合活動にとりくんでいました。「竹村君と社会問題など話し合ってみたい」と思ったわたしは、思い切って竹村君のそばに行って話しかけると、彼は快く応じてくれ、思いがけない心地よいときをすごしました。
そしてその後、本屋で彼の著作とであったのです。それは、イタリアの社会主義思想家のアントニオ・グラムシについて書いたものでした。
次の同期会がきました。
はずんだ思いで出かけたわたしを「竹村英輔が死んだ」の知らせが襲いました。
「エエッ、死んじゃったの・・・」
死の経緯もなにもわからないまま、わたしの少年像は、あっけなく遠い記憶の中に沈んでいきました。
◇◇◇ ◇◆◇ ◇◇◇
そしてまた、長い長い時間が流れました。
なんと、先日、「竹村英輔先生の講義を受けた」という彼の教え子からメールがとどいたのです。『高齢恋愛』を読んで、竹村先生が高柳美知子の初恋の人であることを知ったというではありませんか。
メールには、このように書かれていました。
「最初、同姓同名かなと思っていたのですが、何よりアントニオ・グラムシの名前が出たものですから、『間違いなし!』となりました。竹村先生は日本福祉大学の教授をなさってました。私は彼のゼミ生で、テーマは『明治期の人権思想』でした。彼を知る人はみな、その丁寧な指導に感動しています。とても素晴らしい先生でした。彼から、それぞれゼミ生は心の奥に残る言葉をもらっているようです。何かの折その言葉を思い出しながら人生を歩いていると思います。私にとっては大変良い出会いでした。卒業してからも何度も名古屋のマンションを訪ねていったことが、昨日のような気がします。久しぶりで竹村先生の話ができて、大変嬉しかったです。どうぞ、高柳様もお体にはお気をつけて、お過ごし下さい。」
亡くなってから何年もたったのに、記憶の底に沈み込んでいた竹村英輔君が、わたしの心に再びよみがえってきたのです。
ヒヤシンス薄紫に咲きにけりはじめて心ふるひそめし日 北原白秋
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