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ケアノート

医療・健康・介護のコラム

[篠沢礼子さん]ALS自宅闘病 愛が支え

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生きること共に楽しむ

「会話は筆談です。過去の音声録音からパソコンを使って声を再現する計画もあって、楽しみにしているんです」と話す礼子さん(左)と秀夫さん=米山要撮影

 フランス文学者で学習院大名誉教授、篠沢秀夫さん(78)は、テレビのクイズ番組の解答者としても人気でした。

 2009年2月に難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断され、自宅で闘病中です。介護するのは妻の礼子さん(70)。笑いが絶えない家庭ですが、病気をありのままに受け止めるには、覚悟と時間が必要だったと言います。

 今月初めの夫の誕生祝いはにぎやかでした。車いすに乗った夫とイタリア料理店に出かけ、教え子や縁のあった人たちで作る「コンビビ会」の方々が集まってくれたんです。コンビビとは、フランス語で「生きることを共に楽しむ」。夫は笑顔でいきいきとしていました。「できる範囲でもっと外出して、一緒に楽しい時間を過ごせればいいなあ」と改めて思いました。

 2008年頃からろれつが回らず、話し方が少し変だった。入れ歯が合わないのかと思って治療し、人間ドックにも行った。大学病院の神経内科を紹介され、09年1月に検査入院。正月に普段通り雑煮を食べた姿からは、全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病のALSだと予想もしなかった。

出口がない

 「治療法がない」と説明する医師に、思わず「奇跡はないんですか」と尋ねました。答えは「誤診でない限り、ありません」。診断書の「進行性」という文字を消したくて消したくて。出口のない場所に閉じこめられた気持ちがしたんです。

 医師からは「将来、人工呼吸器をつけ、24時間介護をするようになれば、人手が6人必要」とも言われました。一緒に話を聞いた娘も私もショックでしたが、夫はひょうひょうとしているのです。心の奥には病気を認めたくない気持ちもあったのでしょうね。「検査、検査で病気にさせられた」とも言っていました。

 私は食欲が落ちて、眠れず、起きあがれない。うつ病のような状態になりました。

 夫は退院しましたが、その年の3月トイレで倒れました。呼吸をする筋肉が弱って酸素を体に取り入れられなくなっていたのです。人工呼吸器をつけるか決断を迫られました。

 一つ一つできないことが増え、それが次々に襲ってくるのです。落ち込む私に、娘が「ママにしっかりしてもらわなきゃ困る」と言いました。初孫を産んだばかりで、夫にも「おじいちゃまの記憶が残るまで生きていてほしい」と。それを聞き、大変なのはパパなんだから、私がめそめそしていちゃだめ、と覚悟を決めました。

 人工呼吸器をつけた夫を自宅で介護するにあたって、不安だったのは、たんの吸引です。自力でたんを出せないので、四六時中見守り、細い管で取り除かなければなりません。怖くて正直に「自信がありません」と言った私に、主治医が「それは愛です、愛です、愛です」と繰り返しました。病院に泊まり込んで看護の様子を見ました。娘や息子も吸引の練習をして、7月に家に戻りました。

 秀夫さんに礼子さんの介護を聞くと、筆談で「家内の介護は、親切、丁寧、徹底的です。『愛、愛、愛、生命力、生命力』と心に叫びながら、たんを取ってもらいます」と答えた。朗らかな礼子さんの笑い声を聞くと「しあわせ感がみなぎります」とも。

家の中が公園

 退院当初は、普通に食事をしていましたが、今はミキサー食。好物のうなぎもミキサーにかけて出します。介助なしに歩ける距離もだんだんと短くなりました。一つできなくなるたびに一瞬落ち込みますが、くよくよせず、1日でも長く今の状態を維持して、一緒に楽しく暮らせればと思います。もう少々のトラブルには動じませんよ。

 介護保険の要介護度は5。障害者自立支援法の福祉サービスも利用しています。昨春から両方の制度で看護師やヘルパーの方々に来てもらっているので、家の中が公園かと思うほど、しょっちゅう人が出入りしています。安心して夜眠れるようになりました。

 秀夫さんはパソコンで闘病の心境を書いた「命尽くるとも」を執筆。フランス文学の翻訳にも取り組む。

 病を得ても、夫は人や社会とのつながりを保ちたいのです。「明るい はみ出し」と題した自伝も書きました。楽天家の夫にのんきな私、お互いに少し世間離れして、はみ出しているのかもしれませんね。パパがいてくれるだけでありがたいと思っています。(聞き手・大森亜紀)

 しのざわ・れいこ 1940年埼玉県生まれ。学習院大仏文科卒。同大の副手をしていた時に、非常勤講師だった秀夫さんと出会う。65年に結婚。児玉清さん、黒柳徹子さんら約200人の友人らが秀夫さんへ応援メッセージを寄せ、今月出版された本「奇跡を願って」(アートコミュニケーション)を監修した。

 ◎取材を終えて 「そうよね、パパ」と礼子さんが問いかけると、うん、うんと秀夫さんがうなずく。取材中に何度もそんな場面があった。闘病について秀夫さんに聞くと、「『こうならなければよかった』など考えていたらやり切れない」。だから「古代の心で、今の姿を楽しむ」。生まれた場所でおおらかに暮らした昔の人のように、ありのままを味わう心境という。試練の中でも、分かち合い、理解しあえる夫婦の形を教えてもらった。

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