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中曽根康弘、渡辺恒雄、垣添忠生の3氏鼎談

イベント・フォーラム

がん克服 新戦略を(1)

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公開講座 「巨頭は語る、わが国の将来」

 高齢社会の到来とともにがんの死亡者が増加、昨年は35万人を超えた。4月21日、名古屋市内で開催された日本泌尿器科学会総会(名古屋市大泌尿器科主催、読売新聞社など後援)の市民公開講座で、中曽根康弘元首相、渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長・主筆、垣添忠生元国立がんセンター総長の3人が「がん克服」に向けて政治と医療の在り方を議論した。(構成=千田龍彦・中部支社専門委員)

 
              鼎談に臨む(左から)垣添、中曽根両氏と渡辺主筆

総合戦略の成果

 鼎談(ていだん)のテーマは「巨頭は語る、わが国の将来」で、垣添氏の司会で進められた。まず渡辺主筆が「毎年、30万人以上ががんで苦しみながら亡くなっている」と現状にふれた。日本人の死因別では中曽根政権誕生の前年、1981年からがんの第1位が続いている。そうした中で中曽根氏は「対がん10か年総合戦略」をスタートさせ、わが国のがん研究の水準を引き上げた。

 垣添 中曽根さんは首相となってすぐ、当時の文部、厚生、科学技術の3省庁合同のプロジェクトとして対がん総合戦略を構想した。発想の原点は何か。

 中曽根 地震、台風などの自然災害とともに、がんは日本人の宿命的な問題だ。特にがんは人間の力で克服すべきであり、がんとの闘いこそ政治の目標だと決意していた。そこで、ひそかに専門家を集め、総合戦略構想を打診したら、「そんな発想をした政治家はいなかった」と激励され、決断した。がん研究は外国、特に米国が進んでおり、優秀な人材を米国に派遣し、先端研究を日本に導入することに努めた。


 中曽根氏は、若い代議士時代から「総理になったら何をするか」を計30冊の大学ノートに書き込んでいたことを明かした。「総理になってから考えているようではだめだ」という。

 垣添 84年度からの10か年総合戦略のおかげで、日本の基礎研究は世界に追いつき、一部では追い越すことができた。94年度から第2次、2004年度から第3次の対がん総合戦略と続いている。国ががんに特化して集中的な投資をし、主導的に取り組んできたことは、マスコミの目にはどう映っているか。

 渡辺 第1次では1000億円超と巨大な予算が投じられ、2次、3次ではよりきめ細かな計画となった。第1次の期間中に導入された重粒子線はがん治療に成果をあげている。一方、「これからは遺伝子治療の時代」ともいわれ、今後、遺伝子の基礎研究に相当な資金を投じなければならない。ところが日本の医療は、国立がんセンターが経費節約のために独立行政法人になったり、研究医、臨床医が冷遇されたりしている。米国から帰国し、大学病院で勤務する世界的な外科医の年収は、米国時代の10分の1以下だという。このままでは優秀な研究者は育たず、がん研究の進展は望めない。(続く)



 中曽根康弘 元首相

 衆議院議員20期。82年から87年まで首相。がんの本態解明を目的とする対がん10か年総合戦略をスタートさせた。現在は財団法人世界平和研究所会長。



渡辺恒雄 読売新聞グループ本社 会長・主筆

 読売新聞社社長当時の98年に国立がんセンター中央病院で、垣添院長(当時)らによる前立腺がんの全摘手術を受けた。04年から読売新聞グループ本社会長・主筆。



 垣添忠生 元国立がんセンター総長

 対がん10か年総合戦略で渡米し、前立腺がんの全摘手術を習得。国立がんセンター中央病院院長を経て02年から同センター総長。天皇陛下の前立腺がん手術を担当。現在は日本対がん協会会長。

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