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[佐良直美さん]守り守られ動物と暮らす

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「飼い主の責任を果たすには、自分自身の健康も大切です」(栃木県那須塩原市内で)=中嶋基樹撮影

 「エブリバディ、ダウン!」。厚みのある低音で号令を響かせると、はしゃいで跳びはねていた犬たちが一斉に伏せた。「犬の散歩で、毎日1万歩は歩いているので、体力は十分。おかげでボイストレーニングをしなくても、声が出ますよ」。ボールを投げて犬と遊ぶ身のこなしは、還暦を過ぎたとは思えない軽やかさだ。

 栃木・那須で犬のしつけ教室「アニマルファンスィアーズクラブ」を設立したのは1993年。捨てられたペットや傷ついた野生動物を保護するうちに所帯が膨らみ、現在は、40匹の犬と100匹の猫、ミニブタやカラス、ハトなどとにぎやかに暮らしている。

 日本のジャズ歌手の草分けと言われる水島早苗に師事し、大学に通いながらジャズ喫茶などで歌っていた。67年、「世界は二人のために」でデビュー。120万枚を売り上げた。

 生来は、ファンに手をふることもできないほどの恥ずかしがり屋だが、一気に国民的な人気者になり、生活は一変した。「まるでサーフボードに乗せられて、行き先も分からないまま、どんどん流されているような感じでした。あのころは怖いもの知らずだったから、やっていけたんでしょうね」

 「いいじゃないの幸せならば」「どこへ行こうかこれから二人」など、ヒットを連発、ドラマやバラエティー番組でも活躍した。

 不動の人気に支えられていた78年、師の水島が亡くなった。「どんなにうまく歌っても、もう水島先生に褒めてもらうことはできない。私は、誰のために歌っているのだろう」。むなしさを抱え、次第に芸能活動から遠ざかっていった。8年後、水島にささげるカセットアルバムを発表し、翌年に歌手活動を休止した。

 動物好きの一家に生まれ、「猫が乳母、犬がきょうだい」という環境で育った。歌手として各地を飛び回っていた時代には、巡業先で捨て犬を拾ってきたことも度々だった。

 休業後、ペット用品の輸入・販売の事業を手がけたが、売れるのは、動物の健康よりファッション性を重視した商品ばかり。東京から移り住んだ那須で、自宅の敷地に犬や猫が捨てられるのが後を絶たない。そんな状況にも憤りを感じていた。「飼い主に正しい知識を持ってもらい、意識を向上させるための教育が必要」と考えたのが、しつけ教室を開くきっかけになった。

 昨年、芸能関係者の強い勧めもあり、27年ぶりのシングル「いのちの木陰」を発表した。変わらぬ歌唱力と深みのある低音で健在ぶりを印象づけた。「命を守り、安らぎを与えたい」との思いを旧知の作詞家山川啓介が詞にしてくれた。

 才能を惜しむ声は今も根強く、本格的な復帰への期待も高まっているが、動物中心の暮らしを変えるつもりはない。「20年前、猫がおなかに飛び降りてきたとき、ゴリッという感触があり、卵巣がんが見つかった。私の命があるのは、動物のおかげなんです」

 捨て猫を減らすための猫の登録制実施や、ペットと暮らせる高齢者住宅の開設など、目標はたくさんある。「人は皆、役割があって生かされている。神様に『もういいよ。休みなさい』と言われる日まで、頑張らなくては」(飯田祐子)

 さがら・なおみ 歌手。1945年、東京生まれ。67年、「世界は二人のために」で日本レコード大賞新人賞、69年、「いいじゃないの幸せならば」で、日本レコード大賞を受賞。優良家庭犬普及協会専務理事。

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