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ケアノート

コラム

[内藤啓子さん]がん進行 女優の妹支え

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効果不明の情報に戸惑う

「コンサートの後、ファンの方たちに病名を伝えた時は、皆さん泣いてしまいました」(東京都内で)=飯島啓太撮影

 元宝塚トップスターの大浦みずきさんは、2008年に肺がんと診断され、闘病の末、翌年11月に53歳で亡くなりました。

 姉の内藤啓子さん(58)は、「がん患者と家族を精神的に支える仕組みがもっとあれば」と振り返ります。

 なつめ(みずきさんの本名)が最初に体の不調を訴えたのは08年8月。「わきが痛い」というのですが、自分で「骨か筋肉がおかしいんだ」と決めつけ、整体やはりなどにせっせと通っていました。

 小さい頃から怖がりで注射が苦手。大人になっても医者嫌い、検査嫌いは変わらず、体調を崩しても、病院にはなかなか行きませんでした。

 みずきさんは、宝塚歌劇団花組を退団した後も舞台女優として活躍していた。四つ年上の姉である内藤さんは、大浦みずき事務所の代表として妹を支えてきた。。

 9月下旬にようやく受診した最初の病院では、「線維筋痛症」との診断。精神的なストレスなどが原因で激痛が起きる難病だといい、精神安定剤や睡眠薬を処方されましたが、痛みと息苦しさはひどくなるばかりでした。

 「絶対おかしいから、別の病院でもう一度みてもらって」となつめを説得し、検査に同行したのが11月下旬。胸に4リットルもの水がたまっており、そのまま入院。その後、病院から私に電話があり、肺がんだと告げられました。

 既に手術ができないほど進行していて、抗がん剤の治療になるとのこと。本人にどう伝えるか悩みましたが、話さなければ治療ができないので、医師から話してもらいました。なつめの顔から一瞬血の気が引いたように見えましたが、泣き出したりということはなく、ただ「姉ちゃん、ごめんね」と言うのです。

 私たち姉妹は、05年に父(作家の阪田寛夫さん)を肺炎で亡くしました。私は認知症の母を3年ほど自宅で介護した後、信頼できる病院に預けたところだったので、「両親に続いて今度は私が迷惑かけちゃうね」という意味だったのでしょう。私は「バーカ」と答えるのが精いっぱいでした。

 「胸膜炎」ということにして、予定していた舞台は降板。ごく親しい友人をのぞき、がんであることは伏せた。。

 妹は女優ですから、弱っている姿を多くの人に見られたくはないだろうと思ったのです。ちょうどインフルエンザの流行期だったので、「胸の病気だから感染したら大変」と理由をつけ、お見舞いもすべて断りました。私となつめのマネジャー、友人ら病名を知っている数人で付き添いのローテーションを組みました。全員予防接種を受け、マスク着用、手洗い、うがいを励行。気を張っていたせいか、なつめの闘病中、私は一度も風邪を引きませんでしたね。

 抗がん剤の治療が始まりましたが、発疹などの副作用が強く、何度も薬を変更しなければなりませんでした。

 なつめは精神的に不安定になり、病院を変えたいと言い出したこともありました。そんな時、私たち姉妹が幼い頃から家族ぐるみでお世話になっている医師が関西から駆けつけ、「なっちゅん(子ども時代のなつめの愛称)、つらいけど頑張ろうね」と励ましてくれました。その後も何かというと親身に相談に乗ってくれ、私も妹も精神的にずいぶん助けられました。

 09年3月に行われた阪田寛夫メモリアルコンサートで、みずきさんは4か月ぶりに舞台に上がり、父の手紙を朗読。終演後、ファンに病名を打ち明けた。。

2009年3月、阪田寛夫メモリアルコンサートで父の手紙を朗読した大浦みずきさん(左)。右は姉の内藤さん

 病名を公表すると、あちこちから様々な種類のお茶、水、健康食品などを勧められるようになりました。なつめは病院嫌いの反面、「健康オタク」で、体にいいといわれることは積極的に試すたち。抗がん剤を点滴から経口剤に変更したのを機に退院すると、早速様々な療法を試し始めました。

 私は「それで気が済むなら」と、なるべく本人の希望に添うようにしていましたが、寄せられる情報の中には「こうしたらいい」と「こうしてはいけない」と正反対の内容もありました。効果があるのかどうかも分かりません。どの情報を信じたらいいのか。翻弄され戸惑いを感じました。

 8月初めに再入院。本人は治る気満々で、相変わらず様々な療法を続けていましたが、次第に体調が追いつかなくなってきました。食が細くなり、食べられる物を探して口にするのがやっと、という状態になってしまいました。

 11月13日夜、「おかゆのおかずにつくだ煮がほしい」というみずきさんに、内藤さんが「じゃあ明日買ってくるね」と病室を後にしたのが、最後の会話になった。意識がなくなったと連絡を受け、駆け戻った内藤さんがひと晩付き添い、翌朝静かに亡くなった。。

 がんという病気は、一番つらいのはもちろん本人ですが、支える家族など周囲もつらい。精神的に弱っていると、高価な健康食品を売りつけるような商法につけいるスキを与えてしまいます。カウンセリングなど、患者と家族を精神的に支える仕組みがもっと充実していってほしいですね。(聞き手・森谷直子)

 ないとう・けいこ 元宝塚トップスター大浦みずきさんの姉。1952年、大阪府生まれ。大浦みずき事務所代表取締役。昨年、大浦さんの生涯をつづった著書「赤毛のなっちゅん」(中央公論新社)を刊行。父は童謡「サッちゃん」の作詞でも知られる芥川賞作家の阪田寛夫。

 ◎取材を終えて みずきさんに免疫力をつけさせようと、内藤さんは根菜スープを毎日作り病院に運んだ。こしてスープだけ持って行き、余った具はシチューなどにして自宅で出したので「夫や子どもたちはまたかと思っていたでしょう」と笑う。とはいえ「家族には感謝している」。ここ数年、父、母、妹と立て続けに介護、看病に追われてきた。そんな生活を乗り切れたのも、夫や子どもたちの全面的な協力があってこそだったのだろう。

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