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[夏樹静子さん]囲碁 愉快になれる時間

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「あこがれの囲碁は習ってみると期待通り面白かった。若い人にも挑戦してほしいですね」(東京都内の「小川誠子囲碁サロン」で)=松田賢一撮影

 背筋をピンと伸ばし、碁盤を見つめる。「打ち始めると、頭の中は囲碁のことだけ。ほかのことはすべて忘れます」

 自宅のある福岡にはなじみの囲碁サロンがある。原稿執筆が一段落した休日には居間で“好敵手”の夫と向かい合う。「いつも互角の戦いになります」。東京にも碁仲間がおり上京すると決まって「一局やりましょう」となる。先月は、交遊のある小川誠子六段のサロンを訪れ胸を借りた。

 白と黒ではなく、淡い緑と濃い緑の碁石を使う。「目に優しい」と自身が発案して製品化した碁石だ。パチリ、パチリと石の音だけが響き、盤面にグリーンの模様が広がっていく。至福の時間だ。

 結婚して一度は作家への夢をあきらめた。ところが「子への情愛をどうしても文章にしたい」と、子育てしながら書いた作品が江戸川乱歩賞の最終候補に残り注目される。「地方在住の女性作家という珍しさもあったのか、原稿依頼がじゃんじゃか来ました」

 「弁護士朝吹里矢子」シリーズをはじめ、ミステリー作品を次々と世に出した。原稿の締め切りを抱えて書斎にこもる日々が続いても、書くことが好きだから平気だった。

 ところが54歳の時、生き方の見直しを迫られるような事態になった。激しい腰痛で、いすに座れなくなったのだ。病院を回ったが、腰に異常は見つからない。2年半苦しんだ後、診てもらった心療内科医に「仕事のストレスが原因」と診断された。1年ほど休筆した。「仕事が充実していて気付かなかったが、体は悲鳴をあげていたのでしょう」

 少しずつ囲碁を習い始めたのは40代後半。中学生の時に教わった叙事詩に、世の治乱興亡を「一局の碁」に例えた一節があった。なぜか心に残り、囲碁にあこがれ続けていたのだという。

 緑色の碁石を提案したのは52歳の時だ。眼精疲労で医師から「緑を眺め、目を休ませなさい」と言われ、「それならいっそ碁石を緑色に」と思いついた。「せっかくだから普及させよう」と話はとんとん拍子に進み、「夏樹静子杯グリーン碁石囲碁大会」を毎年開催することになった。「参加者でいっぱいの会場を見た時の愉快な気持ちは、今でもはっきりと覚えています」

 腰痛で苦しんだ時期も、グリーン碁石囲碁大会には休まず出席した。息抜きで始めた囲碁だったが、いつの間にか碁盤に向かう時間がとても大切なものとなっていた。

 書くことは楽しい。ただ作品を読者に認めてもらいたいという欲が出て、ストレスや苦悩がついて回るという。

 囲碁の魅力は何か。「囲碁は陣取り合戦。碁盤に植物が根を張り広がっていくようで面白い。勝っても負けても、愉快な気持ちになれるのです」

 これからの人生の中心を占めるものは何かと問われれば、やはり「書くこと」と答える。ただ、囲碁も確実にその陣地を広げ、愉快になれる時間を提供してくれる。「シニア世代には、みなそんな時間が必要なのではないでしょうか」(西村洋一)

 なつき・しずこ 作家。1938年、東京都生まれ。73年に「蒸発」で日本推理作家協会賞。2007年には、ミステリー文学の発展に貢献したとして、日本ミステリー文学大賞を受賞。著書に「量刑」「てのひらのメモ」など。

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