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[藤田三保子さん]病恐れず 表現へ挑戦新た

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「大震災の被災者のためにも、私が今できることをやっていきたい」(都内のライブハウスで)=岡田元章撮影

 「ボンソワール!(こんばんは)」

 東京都内のライブハウス。赤いドレスに身を包み、フランス語で、元気な声を響かせた。「こんな時だからこそ、あしたを信じていたい――」。東日本大震災の自粛ムードで客足は今ひとつだったが、「バラ色の人生」「愛の讃歌(さんか)」など8曲を、情感豊かに歌いあげた。

 NHK連続テレビ小説「鳩子の海」のヒロインで知られる女優は今、シャンソン歌手として舞台に立つ。初ライブは、2004年5月、51歳の時だった。プロの指導で歌唱とフランス語を学び、今では、約160曲のレパートリーの大半を原詩で歌う。

 「フランス語の歌詞は、各小節の終わりが韻を踏んでいたりして、とても味わいがあるんです」。今も語学のレッスンを受けながら、月2~3回の割合でライブをこなす。

 21歳で女優としてデビュー。「鳩子の海」や刑事ドラマ「Gメン75」などで人気を博したが、昼夜を問わないハードな撮影がたたったのか、体調を崩し、27歳で膠原(こうげん)病の一種である全身性エリテマトーデスと診断された。ステロイド剤の副作用で、顔がまん丸に腫れた。

 「『激務でストレスが多く、女優はやめたほうがいい』と医師から言われて……。女優としてこれから第一線で活躍するぞ!と思っていた時だったので、死を宣告されたようなショックを受けました」

 病と闘いながら、30歳代半ばに活動を再開したが、女優の仕事はほとんどこない。日本舞踊、ボイストレーニング、タップダンスなどの教室に通い、様々な業界の人たちと交流して多方面にアンテナを張りながら、チャンスを待った。

 40歳代に入り、人に勧められて油絵、俳句、朗読などに挑戦。どれも、やるからには趣味ではなく、プロを目指した。「発信したい、表現したいという欲求は人一倍強いと思います」。新しいことを勉強するのは、全く苦にならなかった。

 油絵の個展を毎年のように開き、舞台では詩を朗読。テレビの俳句番組にも出演した。女優の仕事も少しずつ戻ってきた。

 50歳で知人に誘われて始めたシャンソンも、今では歌う楽しさに、すっかり魅了されている。歌とともに表情を変え、身振り手振りを交えて、雰囲気を盛り上げる。曲の合間のトークでは、歌詞に込められた思いや時代背景などを、静かに語る。「演技も朗読も、俳句を詠むことも、今までやってきたことがすべて生かされているじゃない!」

 ライブを重ねるうちに、シャンソンこそ、自分に最も合う表現形態だと思うようになった。容姿、声、話し方、考え方、病気を含めた経験……。すべてを受け入れ、消化し、「私の芸風」が確立されようとしているのを実感する。

 「病気は完治していないけれど、ステロイド剤はもう5~6年飲んでいません」。シャンソンを中心に、油絵、俳句、朗読、そして女優。すべてに全力投球する姿に、もはや病の影はない。

 人は、何歳からでも新しいことに挑戦できると確信している。「何をしたらいいかわからないこともあると思います。そんな時、誰かに『やってみない?』と誘われたら、迷うことなく『ウィ!(はい)』って元気に答えることをお勧めします」(安田武晴)

 ふじた・みほこ 1952年、山口県宇部市生まれ。文学座を経て、74年、本名の「藤田美保子」で女優デビュー。98年頃、現在の名に改名。画家として、「清興展」努力賞(2002年)などを受賞。俳句結社「炎環」に所属し、「山頭女(さんとうじょ)」の雅号を持つ。

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