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世相にメス 心臓外科医・南淵明宏ブログ

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原発の放射能とイジメ

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 「君のゆく道は、果てしなく遠い」

 音楽の教科書にも載っている名曲、若者たち。わが国のテレビ文化史に燦然(さんぜん)と輝く青春ドラマの主題歌です。大阪万国博覧会の前年の1969年に公開された映画版で、石立鉄男さんが演じた役の青年は、被曝者で孤児ということで差別されていました。

 原子爆弾は1945年。それから24年もたっていたのに、原爆の被害者に対する理不尽な差別があったということに驚きです。

避難者を待ち受けたもの

 福島の原子力発電所の事故で避難を余儀なくされた人たちが、差別されていると連日報道されています。小学校に転校してきた児童に先生が「福島から来たことを隠しますか?」などと気を遣っているそうです。福島ナンバーの車がガソリンスタンドで給油を拒否されているという話も。事実だとするとひどい話です。

 人を偏見だけでネガティブに判断しては、自分が結局損します。私たちが今生で出会う「人」は、人生に幸福と富と栄光と充実を運んでくるのです。仮に百歩譲って本当にそういった危険性、例えば感染症など実害が否定できない「新参者」が目の前に現れたとして、こういった人々を温かく受け入れるのが社会というものではないでしょうか。


 こういった差別は起こらないように、病気や放射能の正確な知識を持つべきだ! それで偏見はなくなる!


 でも、本当にそうでしょうか?

弱い者

 結局のところ、理由は何でもいいから、弱っちい奴を見つけたらイジメる。すなわち、かつての被曝者差別は、「差別」というより「イジメ」なのではないでしょうか。

 私も小学校5年生の時に田舎から大阪の小学校に転校したのですが、クラスのみんなから、それはそれは陰湿なイジメを受けました。

 人間の本質ではないでしょうか。反撃できない弱い立場の誰かを集団でいじめたくて仕方がない。そうやって自分たちの社会の連帯を強め、優越感に浸る。欲求不満に対するうさばらしもあるでしょう。

 どうしてそうなるのか? それはみんなが弱いから。弱い人は自分よりもっと弱い人をいじめることで一瞬の安堵(あんど)につつまれます。

 日本社会はそういう「弱い人たちの弱い者いじめ」に蔓延している社会なのです。

 「本当に強いカードを持っている奴が人に優しくできる」

 この真理がなかなか伝わりません。オヤジどもも平気で弱い者イジメします。弱い者いじめは大恥だ、という価値観が大人社会にもないのです。メディアのスキャンダルの取り上げ方など見ていても、「弱きをぼろぼろにし、強きに迎合する」を感じます。これをまねて子供も平気で弱い者いじめをします。

 震災で日本は変わった、と思い込んでいました。しかし、卑怯なイジメはなくなりそうもありません。

 やさしさは強さだ! 強さはやさしさだ!

 若者たちには、この価値観をこの国に植え付けてほしいと思います。

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南淵明宏ブログ_顔87_87替

南淵明宏(なぶち・あきひろ)

1958年大阪生まれ。大崎病院東京ハートセンター(東京都品川区)のセンター長。心拍動下(オフポンプ)冠状動脈バイバス手術のスペシャリストとして年間200例以上を執刀する心臓外科医。

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13件 のコメント

強くなるために心掛けていること

めぐさん

弱いものイジメ、どこにでもある事だと思います。私も、職場を変わったとき、結婚したばかりで嫁ぎ先の事がまだ何も分からない時、など、新入り状態の時に...

弱いものイジメ、どこにでもある事だと思います。私も、職場を変わったとき、結婚したばかりで嫁ぎ先の事がまだ何も分からない時、など、新入り状態の時に理不尽だなぁという扱いを受けました。始めは自分に何か問題があるのかな、と悩んだものですが、先生が仰るように「弱い人間達の習性」である事に気が付きました。

それからは、敢えて反撃はしませんが(同じ土俵に上がりたくないので)、そういった人達に付け入られないようにしようと考えるようになりました。一匹狼でもいいやんか、見てる人はちゃんと見てくれている、武士は食わねど高楊枝!です。

そうこうする内に波長の合う友達ができました。
寂しいが故に、迎合しなくて良かったと思います。

子供たちにも、そんな風に話しています。

忌野清志郎さんの「シュウ」という歌、群れたがる弱い人達を揶揄した名曲ですよね。

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大人のいじめ

姫美

私は14歳です。いじめの件について私も共感です。すごく共感です。どなたかのコメントにもありましたが周囲と同じでいないと嫌という日本人特有の意識は...

私は14歳です。

いじめの件について
私も共感です。すごく共感です。

どなたかのコメントにもありましたが
周囲と同じでいないと嫌という日本人特有の意識は、良く言えば思いやりや協調性があると評価されます。
が、その折角の長所をなぜか悪い方悪い方に持って行き、周囲と全く同じことを好む、全く個性のない社会を作り上げています。

自分で自らの長所を潰しあって何が楽しいのでしょう。
しかもそれを当り前のことだと勘違いし、自分はいじめられないからと安心しています。

子供の社会問題として、いじめによる自殺などが大きな問題とされていますが
一番いじめの問題と隣り合わせなのは、社会をつくりあげている大人たちの方です。
しかし、それを大人たちは「日本人の特性だから。」という理由をつけて無視をしている。
自分に正直で言い訳のできない子供たちは、その当り前と教え込まれた感覚を
当り前のように行うのです。

事の根本は大人にあるということ。
わかってもらいたいです。

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たくさんのご意見ありがとうございます。

南渕明宏

たくさんのご意見ありがとうございます。 いじめに対してはみなさんいやな思いをされているようです。 誰にでもある、人間の弱さの具現化、であるだけに...

たくさんのご意見ありがとうございます。

いじめに対してはみなさんいやな思いをされているようです。

誰にでもある、人間の弱さの具現化、であるだけに、誰しもの琴線に触れるのでしょう。

もちろん実体験として生涯刻み込まれている人も数多いと思います。

かつて「明倫」と名のついた学校で事件が起こりました。所謂「マット死」事件です。

今頃親御さんはどんな思いでおられるでしょう。

ひょっとしたら誰においても起こったかもしれない、そういった意味での「いじめ」と、それに対する社会の扱いを象徴する事件だと思うのですが、今ではすっかり風化しているように思います。

その意味では「象徴」であると同時に、「典型」でもあります。

所を変え品を替えネタを替えずっと継続するイジメ。

日本文化の「象徴」であり「典型」とも言えますね。

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