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[一般の部] 厚生労働大臣賞 「父の左手」

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 金廣 光枝 (かねひろ みつえ)さん

 広島市 49歳 ・ 主婦

 

 ■ 「父の左手」


 

 父の介護をしていた二年間、「わぁ」と叫びたい衝動に駆られた時、疲れ果て知らぬ間にポロポロと涙がこぼれ落ちた時、いつも私を宥(なだ)め癒やしてくれたのは、介護を受けていた父の大きな左手だった。

 あれ程元気だった父が、六十七歳の冬突然倒れ、右半身不随と失語症が残った。父は大正生まれにしては大柄で、ぜい肉等少しもない格好の良い人だった。その父が、一人では寝返りも打てなくなった。母と私は戸惑う間もなく、病院で父の介護をする事になった。仕事を持っていた私を気遣い、母は、「当分私が泊まりこむけぇ、家を頼んだよ」と言う。しかし体格が良い父に比べ、母はどちらかと言うと華奢(きゃしゃ)な体型である。介護は大方「力仕事」と聞いていた。不安だったが、やはり数週間で母の腕は痛みで上がらなくなった。元々持病があり、生涯薬をのみ続けなくてはならない母である。無理はさせられない。細い体で片時もじっとせず、父の世話をし続ける母を、父も心配そうに見ている。言葉を失った父は、母の手を動く左の手でたたいては目を閉じてみせ、昼夜かまわず「寝ろ 寝ろ」と促した。父の目から見ても、か細い母の体での介護は重労働に映ったのだろう。

 「お父ちゃん、お母ちゃんにはしばらく休んでもらお、私がお父ちゃんの側におるけぇ」。そう言うと、父は安心したように頷いた。私は父が四十歳を過ぎて生まれた一人っ子である。母は父より四歳下。幼い頃から、いつかこういう日が来ると腹のどこかで覚悟していた気もする。ただそれが、病気とは無縁だった父の介護で始まろうとは。介護はある日突然やって来た。幸い私の仕事は午後から夜にかけてである。仕事をしながら週に五日、病院に泊まりこみ、あとの二日だけ母に頼った。

 入院も三ヶ月程たった頃、母が赤い目をして言った。

 「お父さん、いつになったら退院できるんかね」

 病院には来なくても、我が家には少しばかりの畑がある。母は一人で畑の世話をし、週のほとんどを一人ぼっちで夜を過ごす。それまで三人でワイワイと囲んだ食卓も、母一人である。父と母そして私という家族の三本柱の一本が折れた今、それを補うため残された母と私は、淋しさや不安とも闘わねばならなかった。

 母の笑顔を父に見せたい、とその年の母の日、私は母にエプロンを買った。母はからし色が良く似合う。大振りの花が染め抜かれたからし色のサロンエプロンである。私は父に耳打ちした。

 「お父ちゃん、これお母ちゃんに渡そ」

 薄い箱を見た父は「何」という風に私を見た。

 「母の日のプレゼント、エプロンよ」と言うと、父は大きく「ああ」と出ない声を上げた。

 「いつもありがとう、お母ちゃん」

 父の病室で祝う母の日、父は「ホレ」というように箱を差し出した。

 「まぁ何かね」

 久し振りの母の笑顔を、父も嬉(うれ)しそうにみつめている。

 「エプロンじゃ。綺麗な色じゃね。これ着てもっとお父さんの世話せぇ言う事かね」と母が笑うと、父は大げさに左手を振って「違う、違う」と左の頰(ほお)だけで笑った。

 この母の笑顔、父の笑顔、当たり前だと思っていた事がこんなにいとおしくてたまらない。うちは裕福ではなかったが、何より三人仲が良かった。正月、誕生日、母の日、父の日、クリスマス、みんな家族で祝った。当たり前なんてないんだ、両親の笑顔を見ながら改めて、大切に育てられた我が身を感じた。

 父の入院も一年が過ぎ、母の体重は三十キロ台にまで減っていた。週五日の泊まりがけの介護で、私自身「疲れた」が口癖になっていた。先が見えなかった。ある日、父の食事の介助をしながら、ポロポロと涙があふれて来た。父は驚き、私の頰の涙を左の手で拭(ぬぐ)った。拭っても拭っても拭い切れないと知った父は、私の腕をさすり始めた。優しく、優しく、そして出ない声で一心に何か言っていた。

 「も う い い けぇ」

 私は、はっとして父を見た。

 「違う違う、お父ちゃん、もういいことなんかない。何言いよるんね」

 私はスプーンに山盛りご飯をすくい、父の前に差し出した。大きな口を開ける父。左の手は私の腕をさすり続けていた。温かい大きな手、父は生きようと懸命にもがいている。私はもうひとすくい、スプーンにご飯を盛った。反省、泣いた事で少しスッキリした。お父ちゃん、ごめん。その日から私も父と一緒に食事をする事にした。時々母も来て加わる。いつまでも私の大切なお父ちゃん、父はいつも母と私を守り、気遣って来た。父はベッドの中だけど、三人の食事が戻って来た。介護の中で見つけた小さな幸せ、それを今私はしっかりと、かみしめている。

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 第29回「心に残る医療」体験記コンクールには、全国から1329編の医療や介護にまつわる体験や思い出をつづった作文が寄せられました。入賞・入選した19作品を紹介します。 = 受賞者一覧はこちら

 主催 : 日本医師会、読売新聞社
 協賛 : アフラック(アメリカンファミリー生命保険会社)

 ※ 年齢や学年は表彰式(2011年1月27日)の時のものです。

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