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私の乳がん体験…楢山勇子さん

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 基調講演に続いて、岩手県の乳がん患者会「アイリスの会」会員の楢山勇子さん、田中秀一・読売新聞東京本社医療情報部長を交え、自己検診の方法などについて話し合いました。聞き手は、フリーアナウンサー高橋佳代子さんが務めました。
 冒頭、楢山さんが、ご自身の乳がん体験を話しました。

乳がん患者会「アイリスの会」会員:楢山勇子(ならやま・ゆうこ)さん
 岩手県二戸市生まれ。20歳で盛岡市に移り、24歳で結婚。56歳の時に、右の乳房にがんが見つかり、岩手県立中央病院で全摘手術を受けた。ホルモン剤治療と定期検査を続け、手術から10年を迎えた昨年9月、乳房再建手術を受けた。
 乳がん患者会「アイリスの会」(鈴木俊子会長)は1995年発足。会員は現在、盛岡を中心に20~80歳代の145人。定例会や温泉での親睦会を催す。楢山さんは7年前に入会。同会は、患者とともに家族、医療関係者、支援者らが乳がんの早期発見、診断、治療の啓発にあたる「いわてピンクリボンの会」活動にも参加している。

 

 

 楢山 こんにちは。 岩手県内で活動している乳がん患者の会「アイリスの会」に2003年から参加している楢山勇子と申します。2000年に右胸にしこりがあることがわかり、全摘出手術を受けました。原稿を書いてまいりましたので読ませていただきます。

 私は、1944年生まれの66歳です。二戸市の出身で、20歳で盛岡に来まして、その後、自営業をしていた夫と結婚し、そのまま盛岡に住んでおります。2006年6月末に実家の母の介護で盛岡と二戸を行き来していたのですが、その当時、やけに疲れやすくなりました。何気なく右胸に手を当てたら違和感がありました。急いで近くの婦人科の開業医に行きました。県立中央病院を紹介され、7月初めに診察に行くと、すぐに乳がんと告知されました。子供3人を母乳で育てていたので、「まさか。何で私が」とも思いました。夫は1998年に肺がんで亡くなっていました。そのころは一人で仕事をしており、仕事の区切りをつけてからと思い、月末以降に手術をしたいと先生に言いました。が、遅くなるほど危険と言われ、結局、すぐに入院し、右胸を全摘出しました。

 今年で手術から10年になります。その間、再発の可能性もあり、5年生存率が50%と言われ、絶えず不安な日々でした。夫が当初90%の生存率と言われていたのに亡くなっただけに、一層不安でした。今ほど情報がなかったので、乳がんに関する本を読みあさりました。理解することはなかったのですが、まくら元に本が5、6冊あってようやくほっとするような心理状態でした。新聞の最新情報も非常にありがたかったです。

患者会に入会、不安を分かち合える

 そんな不安の中、2003年にアイリスの会の存在を知り、入会しました。最初は心細かったのですが、すぐに声をかけていただき、ほっとしました。不安をみんなと分かち合えることが何よりうれしかったです。胸を失ったという喪失感、それに目標のない日常生活。乗り越えられたのはここでの人と人とのつながりでした。乳がんはほんとうに心のケアが大切だと思いました。

 

 ことし9月初め、胸の再建手術をしました。3年ほど前、形成外科医の女性医師が講演で、「おっぱいを取った人のために形成外科医になりました」といった言葉に大変勇気づけられました。乳がん手術の後、右腕のむくみ、だるさ、おまけに体のバランスの悪さからでしょうか、首、肩の苦痛も慢性的にありました。右胸の再建をしたらバランスがよくなるかもしれないと思っているときでした。「60を過ぎてから何を今さら」と言われることもありましたが、私にとって胸の再建は、「もとのまともな体に戻れるかも」ということでした。リスクもありましたが、夢にかけてみました。

 今、私自身、体へのコンプレックスも薄れ、心にも少し余裕ができて、強くなったような、うれしい気分です。「夢に年齢は関係ない。今の自分にできることをする」をモットーに好きな趣味のカラオケを始めています。おかげさまで友人、知人も増えました。今を大切にして楽しく生きていくつもりです。

 きょうは私の体験が少しでも皆さんの参考になりましたらと思います。どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)(続く)

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