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ケアノート

コラム

[深浦栄助さん]娘の女優業 家族総出

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芝居への情熱 最期まで

「加奈子は友人にも恵まれていた。最後の入院中は、中学時代の友人たちがローテーションを組んで見舞いに来てくれました」(東京都内の自宅で)=吉岡毅撮影

 女優の深浦加奈子さんは、2003年に大腸がんと診断され、闘病の末、08年8月に48歳で亡くなりました。父、栄助さん(81)は、「芝居への情熱が娘を最後まで支えていた」と振り返ります。

腹痛押して現場

 加奈子が最初に腹痛を訴えたのは02年、42歳の夏でした。私と妻の京子は婦人科系の病気を疑い、子宮がんの検査を勧めましたが、結果は異常なく、ほっとしました。あの時、大腸がんを疑っていれば……。

 東京都内で、私と妻、加奈子の3人で生活していましたが、女優の仕事は時間が不規則だし、加奈子は京都の撮影所での仕事も多く、あまり家にいませんでした。一緒に暮らしながら、異変に気付けなかったことが悔やまれます。

 加奈子さんは、明治大学在学中に劇団「第三エロチカ」の旗揚げに参加。看板女優として活躍した。退団後は舞台のほかテレビドラマや映画にも活躍の場を広げた。

 翌03年1月から始まったテレビドラマ「美女か野獣」の撮影中、再び腹痛が始まりましたが、仕事に穴を開けたくないと我慢していたようです。最後の撮影を終えた3月初め、やっと病院で検査をした結果、大腸がんの疑いがあることを医師から告げられました。

 3月18日に摘出手術をすると、既にリンパ節にも転移がみられ、がんがかなり進行していることが分かりました。加奈子はショックだったろうと思いますが、愚痴ひとつこぼさず、退院後は抗がん剤治療に通いながら、早速仕事も再開しました。

 周囲にはがんのことは伏せ、「腸閉塞(へいそく)」と伝えていました。ところが、術後の腸の癒着が頻繁に起こるようになり、撮影中に突然の激痛に襲われ、病院に担ぎ込まれることが相次ぎました。

 加奈子は「所属事務所に迷惑をかけたくない」と05年に事務所から独立。私が経営していた会社で加奈子のマネジメントを行うことにして、加奈子の姉の祥子がマネジャー役を買って出ました。開業医である祥子の夫は、病院選びから治療方針の決定まで全面的に支援。妻は管理栄養士の腕を生かして食事の栄養バランスに気を配り、家族総出で加奈子の仕事と闘病を支える日々が始まりました。

転移、手術困難

 06年8月、肝臓への転移が判明。手術で摘出したが、12月には別の場所に転移。位置が悪く、手術は困難と告げられた。

 手術ができないと聞いて、私と妻は絶望的な気持ちになりましたが、加奈子は違いました。自らインターネットなどで情報を集め、放射線治療を主治医に提案。一時がんがかなり小さくなるという成果を上げました。

 未承認の抗がん剤を個人輸入したこともありました。この時は、主治医と祥子の夫が連携してくれて助かりました。承認薬での治療と並行して、未承認薬は祥子の夫の診療所で投与。加奈子は母や姉に付き添われ、病院と診療所をタクシーではしごして治療に取り組みました。

 08年2月には肺転移が見つかり、かなり体調が悪かったはずなのに、同じ月、東京・下北沢の劇場で、最後となる舞台への出演を果たしました。

 その後は、自宅の安楽いすで過ごす時間が増えていきました。妻は加奈子の看病に専念するため、管理栄養士として長年勤めた職場を退職。「足が重い」「肩が凝る」と訴える加奈子の足をさすったり、肩をもんだり、献身的に世話をしていました。食欲が落ちてくると、料理を細かく刻んだり、そうめんやスープなど食べやすいメニューを工夫したりもしていました。

 私は会社の仕事を続けていましたが、帰宅後は、なるべく病気以外の話をして、加奈子の気を少しでも紛らわせようとしていました。加奈子と私の共通の趣味は読書。ある時、2人が同じ文庫本を買っていることに気づき、その主人公の心情を語り合ったことがありました。あの時は楽しかった。

 6月ごろからは呼吸がつらくなり、酸素ボンベを使っていました。そんな状態にもかかわらず、7月末には、どうしてもやり遂げたいと話していた原爆関連番組のナレーションのため、祥子に付き添われ、広島のテレビ局へ日帰り。これが加奈子の最後の仕事となりました。

 その後、急速に容体が悪化し、8月4日に入院。家族や友人が交代で付き添ったが、25日に息を引き取った。

 入院して数日後のこと。たまたま病室には加奈子と私の2人きり。テレビには北京五輪の様子が映っていました。病院の処置で小康状態を保っていた加奈子は、五輪の開会式と芝居の演出の違いなどを熱心に語り始めました。「今はテレビの仕事に時間を取られているけれど、本当はもっと舞台の仕事がしたい。私はまだまだ満足していないんだ」と話すのです。

 加奈子が最後まであきらめずに治療に臨んだ原動力は、この芝居への飽くなき情熱と、家族を悲しませたくないという優しさだったと思います。(聞き手・森谷直子)

ふかうら・えいすけ 女優深浦加奈子さんの父。1929年、東京都生まれ。妻、長女夫婦と共に、次女加奈子さんの闘病を一家で支えた。昨年、「加奈子。何をしてやれたかな…」(主婦と生活社)を刊行。

 ◎取材を終えて 加奈子さんが亡くなる年、両親と姉夫婦はそれぞれの誕生日に、手縫いの布製ブックカバーなど手作りのプレゼントを贈られたという。難しい病状にもかかわらず、加奈子さんが最後まで気丈に治療に取り組んだのは「家族への優しさから」と栄助さんは語っていた。だが、家族一丸となっての支えがあったからこそ、加奈子さんは病気に立ち向かえたのでは、と感じた。プレゼントにはその精いっぱいの感謝の気持ちが込められていたのだと思う。

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