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ケアノート

コラム

[上野正彦さん]余命わずか 知る妻と

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病室で寝泊まり 静かな時

「桜が咲いて散っていくように短く感じた40日間。でも2人には充実した時間でした」(東京都内で)=川口正峰撮影

 著書「死体は語る」などで知られる元東京都監察医務院長の上野正彦さん(81)は、2006年4月に妻、章子(しょうこ)さん(当時71歳)を亡くしました。

 末期の胃がんと告知されてから、わずか40日間。突きつけられた現実に戸惑いながら、夫婦の時間を大切にしようと病院で寝泊まりしました。「精神的な支えにはなれたと思います」と振り返ります。

全身にがん転移

 買い物帰りの妻がインターホンで私を呼ぶようになりました。荷物を持って階段を上がるのがつらい、と。それまでは自転車であちこち飛び回り元気だったので、近所の医者で診てもらうと、異常なし。06年1月頃です。

 それでも疲れた様子が続くので、大きな病院で検査をすると、「がんかもしれない」。さらに専門病院に行き、検査の結果を2人で聞きました。医者は「末期の胃がん。全身に転移しています」と。

 私は死者を相手にしてきましたが医者。「2人とも覚悟はできているので、はっきり言ってほしい」と続けると、「あと半年くらいでしょう」という答えでした。

 妻は取り乱すことはありませんでした。私の気持ちは、「やぶ医者め」。監察医として約2万体の変死体を調べ、理不尽な死に直面してきましたが、身内となると違う。医者の言葉はストレートには受け入れられませんでした。

 章子さんとは1959年に結婚し、2人の子どもが生まれた。章子さんは自宅がある東京都杉並区の中学校を拠点に、住民がスポーツや芸術を楽しむ地域活動に熱心に取り組み、87年からは区議を4期16年務めた。世話好きで活発な女性だった。

 その年の3月、入院しました。病院の対応は、末期なのでがんの治療は一切しない、痛みを和らげたり、眠れるようにしたりする対症療法はする、ということでした。

 しかし、妻は依然食欲もあり、私が知っているがん患者の症状とはあまりにも違っていました。妻自身、代表を務めていた地域活動のことが気になる様子で、「家に帰る」という希望を持っていました。

 私には、初日から「病院に泊まってほしい」と言いました。部屋は個室。簡易ベッドで毎晩泊まり、できるだけ一緒にいるようにしました。

 病室では、特に気遣うというより、普段通り過ごしました。身の回りのことは看護師がしてくれるので、仕事の原稿を書くこともありました。会話もいつもと同じでそんなにありません。窓から海が見えたので、「きれいだね」とか、ペットボトルのお茶を飲み比べてどれがおいしい、とか。でも、今までの(きずな)があるから、心は通じ合っていたと思いますよ。自宅に帰っては、妻の好きな梅干しや、届いていた郵便物を届けました。

 結婚して40年以上、お互い忙しく、こんなに2人でゆっくりしたのは初めて。そばにいると、妻は安心しているようでした。

 上野さんは病院で泊まりながらも講演のため全国へ出かけた。弁護士から事件の死因の再鑑定をしてほしいなどの依頼もあり、来客は相次いだ。

死という矛盾

 子どもたちも見舞いに来ましたが、妻が頼るのは私でした。仕事で応接室やロビーで話をしていて1時間くらいたつと、携帯電話が鳴る。妻から「戻ってほしい」。戻ると、特に変わった様子はない。

 そして、「仕事あんまり入れないでよ」なんて言い出した。「ばかなこと言っちゃ困るよ。俺には俺の生活があるんだ」。つい口から出てしまった。妻は黙ったままで、寂しそうでした。

 今思えば、死が近づいてきた証拠だったのかもしれません。「仕事をキャンセルして、ここにいるから」と、うそでも言えばよかった。むごいことを言ってしまいました。

 入院して1か月が過ぎた頃から、食欲が減り始めました。亡くなる2、3日前からは食べられなくなって、体のむくみがひどくなりました。

 自分でも最期が近いことを感じ取ったのか、ベッドに横になりながら、「私が先に逝ってしまって、あなたをお世話できないのが心残りだわ」と言ったのです。「そんなことは心配するな」と手のひらをさすりました。それが、最後の会話になりました。

 06年4月21日、章子さんは上野さんに見守られながら息を引き取った。寝ているような穏やかな顔だった。

 あっと言う間で、こんなに早いとは思いませんでした。医者として、妻の異変に早く気づいてやれなかったという悔いがあります。でも、死の直前まで自分のやりたいことをした。これでよかったのかもしれない、とも思うんです。

 医学的にどうしようもないと言われ、何も対抗できない。無力でただ一緒にいるしかなかった40日間。それでも死が近づく妻の支えになれた、とは思っています。

 私はずっと、法医学に携わってきました。死はナッシング、体と精神は滅びてしまう、と考えていました。

 でも、妻は今も、私の心の中にいて死んでいない、つながっています。そして、あの世とやらで、妻に再会するのを楽しみにしている自分がいるのです。死に向き合い、考え続けてきた私でも、矛盾なく死を語ることはできません。(聞き手・古岡三枝子)

 うえの・まさひこ 元東京都監察医務院長。1929年、茨城県生まれ。東邦医大を卒業後、日本大医学部法医学教室に入る。59年に東京都監察医務院の監察医になり、84年から同院長に就任。89年に退職後は法医学評論家として執筆活動など、幅広く活躍している。近著に「監察医の涙」(ポプラ社)など。

 ◎取材を終えて 今も各地で死について講演活動を続ける上野さんだが、章子さんの死については、最近の著書で初めて記した。「話したくない。というか、話せなかったのかもしれないね」。穏やかな表情のなかに、妻の死の重さを感じた一瞬だった。病に伏した家族を見守りながらも「何もできない」と悩む人は多い。しかし、寄り添って過ごした上野さん夫婦の姿から、一緒にいることの大切さを改めて教えてもらった。

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