文字サイズ:
  • 標準
  • 拡大

ケアノート

コラム

[本多晃さん]妻の介護と市長職両立

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

デイサービスなど活用

「介護というのはその場になってみないと分からないことが多い。一番の備えは自分が健康であることかもしれません」(千葉県柏市内で)

 前千葉県柏市長の本多晃さん(63)は、若年性認知症の妻・泰子さん(64)の介護を続けています。2005年に認知症の診断を受けた当時は市長3期目でした。「介護サービスの助けがなければ乗り切れなかった」と振り返っています。

 妻の物忘れが目立ち始めたのは、今から10年ほど前です。いつも作っていた料理のレシピを失念したり、「銀行のカードがない」と家の中を探し回ると実はいつもの場所にあったり。それまで詳細につけていた日記や家計簿をいつの間にかやめてしまったことにも気付きました。「もしかしたら認知症では」という考えが頭をよぎりました。

若年性認知症

 市長という仕事柄、病院や老人保健施設を視察で訪ねたりする機会がありましたから、若年性認知症という病気の存在は知っていました。ある時、施設職員の方に「普通に会話しているように見えて、話のつじつまが微妙にずれているケースがある」という認知症の症状を聞き、懸念はますます強くなりました。すでに就職している長男のことを大学に通っているかのように話していたのを思い出したからです。

 若年性認知症は65歳未満に発症する認知症。国内に約3万8000人いると推計される。本多さんは泰子さんを連れて東京の病院へ行き、「認知症の疑いがある」と告げられた。2001年のことだった。

 処方された認知症治療薬の服用を続けましたが、症状は徐々に進んでいきました。ただ、本人は自分が病気であるという認識はないようでした。認知症の初期に、病気が引き起こす混乱から、イライラしたり周囲の人に攻撃的になったりするケースもあるようですが、そのようなこともありませんでした。主治医の先生にも「非常に穏やかだ」と言われました。

 しかし、近所で迷ってしまうことが増えてきました。公務の間、ひとりにしておかないよう、デイサービスや訪問介護を利用するため、04年5月に要介護認定を受けました。

 デイサービスへの通所を基本に、朝早く登庁しなければならない時や、夜の会合などで帰りが遅くなる時にヘルパーに来てもらうようにしました。デイサービスでは、お年寄りにおやつを配る手伝いをしたり話し相手になったり積極的だったそうです。休日には一緒に山に登ったりテニスをしたりして過ごしました。

 ヘルパーを頼まなかった朝に、妻がふっと外に出ていってしまい、登庁が遅れたり会合をキャンセルしたりしたこともありました。もし、介護サービスを利用しなかったら、とても市長職は務まらなかったと思います。

4選出馬悩む

 05年2月、泰子さんは2週間の検査入院で認知症の確定診断を受けた。その年の秋、任期満了に伴う市長選で本多さんは4選を果たす。悩んだ末の出馬だった。

 3期12年という節目を迎え、ここは引退して妻の介護に専念すべきではないかと悩みました。しかし、当時はまだ58歳。やりかけの仕事もありましたし周囲の期待も感じていました。また、デイサービスなどを活用し、専門的なケアも受けるほうが、妻のためになるのではと考えました。

 妻の病気のことは、私の後援会長などごく一部の人にしか明かしませんでした。それを理由に仕事をおろそかにしてはいけないと思ったからです。ただ、夜に会合がある場合でも午後8時には退席させてもらうなど、妻と過ごす時間を減らさぬ努力をしました。

 その後も症状は進み、08年には要介護4になりました。私が自宅にいる時は、入浴やトイレの介助をしました。

 一番つらかったのは妻の中から私と過ごした記憶が消えていくことです。最大の理解者であり話し相手だった人が目の前にいるのに、思い出を語り合うことができないのです。病気なのだと頭では理解できても、慣れるのに時間が必要でした。

 昨年8月、本多さんは記者会見で、「家族の健康問題」を理由に引退を表明した。11月に新市長に仕事の引き継ぎを済ませてからは、泰子さんの介護に専念する生活だ。

 現在も引き続きデイサービスを中心に据えながら介護をしています。自宅ではほとんど私が介助しています。料理は好きなので苦にならないのですが、掃除や片付けなどの家事全般の大変さは、専業主夫になって初めてわかりました。

 今にして思えば、妻に認知症の兆候が表れたのは、ちょうど子供たちが独り立ちし、家庭環境が大きく変化した時期でした。ひとりでどうやって過ごしていたのだろうか、もっと一緒の時間を作る努力をすべきだったのでは――などと、とりとめもなく考えてしまうこともあります。

 学生時代に旅先で出会った妻と結婚して40年近く。柔和で分け隔てなく人と接することができるのが妻の長所です。情緒が安定しない時もありますが、その片鱗(へんりん)は確かに残っていると感じます。

 いつまで在宅介護が続けられるのかわかりませんが、最近は月に1、2回程度ショートステイも利用するなどして息抜きするように心掛けています。元気に介護を続けるのが私の役目なのですから。(聞き手・赤池泰斗)

ほんだ・あきら 前千葉県柏市長 1947年、兵庫県生まれ。71年、東大工学部を卒業後、旧建設省に入省。主に都市計画を担当。同市を通過するつくばエクスプレス関連の整備を進めるため91年、同市助役に。93年、当時の市長の死去に伴う市長選で初当選、4期務めた。隣接自治体との合併や中核市への移行などを進めた。

 ◎取材を終えて 本多さんの自宅の居間で話を伺っている途中、泰子さんを部屋から呼んで紹介してくれた。あいさつをすると、柔和な笑みを浮かべながら会釈を返してくれた。「きょうは機嫌がいいけれど、これでも荒れる時は結構大変なんですよ」と本多さん。してほしいことがあれば、遠慮せずに伝えるという。「夫にしかできない役回りだから」。その言葉に、長年連れ添った夫婦の強いきずなを感じた。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

kea_117

ケアノートの一覧を見る

最新記事