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臓器移植シンポジウム(1) 「命の大切さ、身をもって体験」 音無美紀子さん

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 改正臓器移植法が施行された7月17日、日本移植学会などによる啓発プロジェクトの一環として「Gift of Life シンポジウム」が、東京・港区の六本木ヒルズで開催されました。その模様をお伝えします。

ニュースキャスター ・ 膳場 貴子 (ぜんば ・ たかこ)さん
女優 ・ 音無 美紀子 (おとなし ・ みきこ)さん
タレント ・ 向井 亜紀 (むかい ・ あき)さん
日本移植コーディネーター協議会会長 ・ 添田 英津子 (そえだ ・ えつこ)さん
東邦大学医学部腎臓学教室教授 ・ 相川 厚 (あいかわ ・ あつし)さん

 

38歳で乳がんに…鬱病も併発

 膳場 今日のテーマは「命の大切さ」。テーマとしてはだいぶ抽象的ですが、今日の3人はそれぞれ本当に大きな経験、大きな現場を踏んでいらっしゃいます。そのお話を通しながら「命の大切さ」について具体的に考えていただければ、と思います。

 では早速、音無さん、向井さんのお話を伺いたいと思います。音無さんからお願いいたします。

音無美紀子さん

 音無 「命の大切さ」ということに関して、私ももう22年にもなりますが、38歳のときに乳がんを発見して大きな手術をいたしました。当時はまだ育児の真っただ中で、自分ががんになるっていうことはまったく想定外で考えもしなかった。育児と女優業とで夢中になってる最中でしたから、自分の体に何か異常があるなんて全く想像もつかないような、青天の霹靂(へきれき)だったんです。

 自分でしこりを発見して、その時にはもう2センチ近くあってリンパにも転移があり、大変大きな手術となってしまいました。二十数年前ですから今だったら温存も可能だったかもしれませんが、その当時、私はまだ現役バリバリで女優をやっていたいという意欲満々の時でしたから、片胸全摘してしまったということが、本当に言葉では言い表せないようなつらい思いをいたしました。抗がん剤の影響もあったかと思いますけれども、鬱(うつ)病を併発してしまって、眠れない、食べられない、ものを考えられない、行動できない、何か考えればパニック状態になってしまって、「死にたい」って主人に訴えたことが何度かあるような状態になってしまいました。死にたいけれども、死ぬ方法が考えられるほど頭の中が冷静じゃなかったっていうか。2階の踊り場から飛び降りたら死ねるのかしら…という程度でした。でも「生きていたくない」っていう思いでいっぱいになった時期もございました。

 そんな時に主人が寝ている子どもたちを前にして「この子たちが君を必要としてることが何でわかんないの?」って。「5年、君が生きていたら、麻友美(娘)だって小学校を卒業する頃だし、下の健太郎(息子)だって小学校に上がってランドセルを背負って『いってきまーす』って出かけるようになるよ。そこまで見ていたくないの?」って言われて、「あぁ、見たい!」って思えました。「頑張ってみる」って言うのですが、また何か月かすると死にたい思いになってしまうんです。主人が「じゃあ、あと3年。3年生きて」って。「3年生きたら、その間に僕もいろいろと子供のことを面倒をみられるように勉強するから」と言われて、「わかった、あと3年頑張る」って言うのですが、またそれも駄目なんです。もう最後は主人が「あー、もう1年でいいから。1年でいいから生きてちょうだい」って。「1年の間に一生懸命僕は勉強する、育児を。生きる方法を考えるから1年だけ生きて」と言われて「1年でいいの?」という感じだったんです。

 かわいい娘は、小さくても母親の異変を察知したようで、私を慰めようとして、一緒にお風呂に入ると「ママ、大丈夫だよ。おっぱいは生えてくるから」って励まされたり、「ママが笑う顔が早く見たいな」って言われたり、「ママと一緒にお料理がしたいな」って言ってくれたりしました。息子はまだ言葉もちゃんとしゃべれないような状態でしたが、私はいつも横になっていて、来ると煩わしくて「あっち行って」っていう感じのような私だったのに「ママ、ママ」と言って手を握ってきたりとか、胸に顔をうずめてみたりする。そういう中で「ああ、生きなくちゃ。命は自分だけのものじゃないんだ」っていうふうに思いました。主人にも勇気づけられ、子どもたちに守られながら、こうして元気でそれから二十数年生きているわけです。「生きていたら本当にいいことがあるんだ、生きる、命さえあれば道は開けるんだ」っていうことを身をもって私は体験いたしました。本当に「ああ、雨のやまない日はないんだな。いつかはやむんだな。春が来ない冬はないんだな」っていうことをつくづく思いました。

 今、私自身はこうして元気で、女優として燃えている最中ですが、世の中に、鬱病で苦しんでいる方たちもたくさんいる。そんな方たちにちょっとでも勇気を出してもらえればと思って全国いろんなところで講演させていただいたりしております。今日また、もうひとつ深く命について考える機会を与えていただいて、本当に感謝しております。

 今日はよろしくお願いいたします。

 

闘病中に困ったことは?

膳場貴子さん

 膳場 闘病中のことですが、具体的に困ったこと、あまり経験したことのない人には想像のつかない、たぶん細かいことが生活の中でいろいろとあったと思うんですけども、どんなことがありましたか?

 音無 まず、がんは外科的な手術をしてしまえば、がんの病巣は取った!だからもう大丈夫!というふうにすごく前向きに、手術したての頃は思っていました。実際に退院して帰ってきてからは、例えば私は左胸だったんですけど、左手を十分リハビリして帰ってきたのですが、筋肉を取っているために、シャンプーをしてタオルで髪の毛をふくときに手が思うように動かない。今は平気ですよ。でも、こう(腕をあげて、髪の毛をふく所作)動かせなかったりしました。

 膳場 突っ張ってしまうんですね。

 音無 そうですね。ドライヤーがうまく使えなかったり、布団の上げ下げができないとか、それから当時子どもが小さかったから「ママー」って飛び込んでくるときに左側は取ってるので、パッとやっぱり胸を避けなきゃいけないし。本当にまだ抱っこ抱っこの時だったのですが、抱っこできないとか。それからリンパを取っているので左手を傷つけちゃいけないというので、お料理も、右手で包丁を使って左手を切ってしまうといけない、とか。まぁいろんな制約があったんですね。だから私は、もう普通の人と変わらなく元気に退院してきたつもりが、実際の生活の中では病人なんだってことを思い知らされるようないろんなことがありました。前向きな気持ちがどんどん後退してしまったっていうことはありましたね。

 膳場 その外科的な病気としてはもう治っているかもしれないけれども、その後生きていく中で自分のことを支えてくれたのは、やっぱり家族ですか?

 音無 そうですね。本当にそうですね。もしかしたら私以上に家族は苦しんだのかもしれないと思いますね。

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