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シリーズ痛み 続・私の物語

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ケーシー高峰さんが語る (1) 長患いの腰痛、手術に踏み切る

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ケーシー高峰さん
1934年山形県生まれ。日本大学医学部に入学後、芸術学部に転部。司会業を経て、1960年代後半から、黒板を使って白衣姿で行う医事漫談でブレイク。漫談家として人気を集める一方で、俳優としても活躍。ドラマ「夢千代日記」、映画「学校3」はじめ数々の話題作に出演。

医事漫談でブレイク、腰痛に

 腰痛になったのは、昭和40年代。テレビ局での撮影中に、脚立の上で足を踏み外して、頭と腰を打ってしまって、それからだな。1週間入院したけれど、退院後も腰痛がおさまらなくて。

 ちょうど医事漫談でブレイクし、多忙なスケジュールをこなしていた時。本当に忙しかったのよ。朝はラジオ局で番組をまとめて収録、お昼と午後にそれぞれテレビの生放送、夜からはキャバレーでの営業というスケジュール。

 そんな中で、仕事は休むわけにはいかない。1日の終わりには、痛くておじぎができない。キャバレーで、へんなおじぎをしていたから、客に「どーしたんだぁ、ケーシー!」ってヤジをとばされたなあ。

 ご存じかもしれないけれど、うちは医師の家系。親兄弟はもちろん、親戚も医師ばかり。腰痛も、都内の総合病院に勤務する外科医のおいっ子にみてもらっていました。

 痛くなると駆け込んで、神経ブロック注射をしてもらいました。

 15,16回はやったかな。「だんだん効果は薄まる」と聞いていたけど、その通り。だんだん効かなくなってきた。

03年、自宅で倒れる

 2003年8月、とうとう入院する事態になってしまいました。

 自宅(福島県いわき市)で、夜中トイレに行こうと起き上がろうとしたとたん、腰に激しい痛みが走って、立ち上がれなくなってしまいました。尿路結石の時みたいな痛み。もちろん一人で歩けず、かみさんに支えてもらい救急車に乗りました。MRI検査で、脊柱管狭さく症と診断されました。それで手術をしました。

 手術後、主治医から「手術はうまくいきました。あとは本人次第です」と言われました。

 で、すぐに、リハビリが始まりました。最初は車いすで移動し、アームバーを握り、立つことから。大きなボールの上に座ってバランスをとったり、中ぐらいのボールの上に腹ばいになり前に飛行訓練のように進んだり。1日2回、ハードでした。

 

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