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小椋久美子さんが語る (1) 「オグシオ」結成前から けがに苦しむ

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 医療ルネサンス「シリーズ痛み 続・私の物語」では、著名人の痛みにまつわるドラマを紹介しています。このコーナーでは、取材時のインタビューを詳しくお伝えします。

小椋久美子さん
1983年三重県生まれ。小学校2年生の時にバドミントンを始める。高校卒業後、三洋電機に入社。潮田玲子選手との「オグシオ」ペアで活躍、2010年1月に引退。北京五輪女子ダブルス5位、全日本総合選手権女子ダブルス五連覇。


高校に入って、初めて「けが」を知りました

 小学校二年生からバドミントンを始めて、高校までは「けが知らず」でした。とは言ってもけが自体はしていました。練習中に、足をくじいてねん挫をすることはよくありましたし、ぎっくり腰も2,3回やりました。ねん挫をしても、ちょっとコートから出てくるぶしのあたりを「クルクルッ」とマッサージすれば「良し!」とコートに戻りました。ぎっくり腰も数日休めば、元通り練習ができました。けがで練習を休むということは考えられませんでした。

 ところが、高校に入るとそうはいきませんでした。入学して3か月後、右足首の靱帯を切ってしまいました。最初はいつものねん挫かなと思って、最後まで練習をしましたが、翌日、足首がはれてきて正座もできず、結局、手術をしました。この頃のインターハイにはうずく痛みを隠して出場しました。

「実家に帰ろう」と思い詰めたことも

 高校時代はけがの連続でした。特にヘルニアはつらかったです。高校三年生の時、練習だけでなく、歩くことや、じっと寝ることもできませんでした。腰から足の先までしびれも出てしまって。高校卒業後も、実業団でバドミントンを続けたかったのですが、練習もできない状態で、「もうバドミントンは無理、実家に帰ろうか」と思い詰めた時もありました。

 けががあまりにも多かったのは、おそらく、強豪校に入学し、中学までと比べものにならないレベルの練習をこなすようになり、体の負担を軽減する筋肉がついていないのに、ハードな練習をしていたのが原因だと思います。

最大の武器が腰痛の火種に

 腰痛との闘いは社会人になってからも続きました。プレースタイルも腰に負担がかかりやすかったんですよね。スマッシュは体を横向きにひねって打ちますが、私は違います。正面で受け止めて体全体をおる、腰をおるんです。

 社会人一年目に、全日本選手権シングルスで一位になりました。でも、その後は(潮田玲子選手との)ダブルスに専念しました。けがはちょくちょくありましたが、自分なりに「ここまでやったら危ない一線」が見えてきました。背中やおしりがはってくると、次に腰が固まってしまうんです。そうなったら、痛みが起きないよう、練習を休みました。一度、故障すると復帰までが大変ですから。

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