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基調講演 (2) オロオロしていた僕を変えた言葉

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読売北海道 医療フォーラム 


 僕は36年前に東京医科歯科大学という国立大学を卒業して、長野県茅野市の諏訪中央病院に行きました。当時は、若い医師が地方に出ることはほとんどなく、僕の同級生は誰も地方に行かなかった。「都落ちするな」と友人に心配されました。僕も当初は2、3年のつもりでした。累積赤字4億円のおんぼろ病院。でも、おんぼろ病院だから駄目、ということではない。僕は、「欲張らない」という詩集を出し、その中に「波」という詩を書いた。人生も人間の健康も、経済も全部「波」なんじゃないかと思っている。下がっているということは、必ず上がるということ。経済も必ず上がると思えるかどうかが大事。諏訪中央病院に行った時も、大変な病院に来たなと思ったが、「波」と思った。下がっているからどうしようもないわけじゃない。

 この地域は脳卒中が多かったから、年間80回、脳卒中を防ぐために、仕事が終わってからボランティアで地域に行った。そしたら、地域の人が褒めてくれる。「今度の先生は、仕事が終わっても自分たちの集落まで来て健康の話をしてくれた」と。36年前、救急のたらい回しがあった時代に、僕らは救急を断らないようにしようと言ったら、「今度の先生は、夜中でも正月でもみてくれる」って褒められた。駄目な病院に行くと、何をしても褒められた。職業だって、大企業に行けた方がいいけど、大企業に行けないから自分の人生終わりではない。医師も、大病院に行って、研修制度が整っている方がいいに決まっているけど、しっかりした病院じゃないと駄目かと言えばそうではない。すべては「波」じゃないかと思っている。

 この地域に、知っている人がいる訳ではなく、大学の関連病院もなければ、友人や親戚がいる訳でもなかった。地域医療を守るために地域で生活するって大変。だから、ずっとオロオロし続けてきた。何度もオタオタしている。最初は、同級生はどんどん研究して偉くなっていくのに、田舎に行ったことで自分だけ遅れる、と焦った。

 ある時、「辞めたい、東京に戻りたい」と副院長に相談したら、勉強に東京へ出てみろ、って言われた。東京女子医大で宮崎教授について白血病の勉強をさせてもらった。これが、僕の人生をちょっと変えた。白血病の勉強を終えて、諏訪中央病院に戻る時に、宮崎先生から「大学に残ってもいいぞ。君は面白い」と言われた。

 白血病の治療をしていると、肺炎や、肝臓の障害が起こることがある。薬が強いために、心臓の筋肉に障害が出ることもある。大学にいると、専門医を目指す多くの若い医師が、呼吸器の専門医のところに行ってレントゲンをみてもらって、何々先生っていう有名な呼吸器の先生がこう言っています、だからこういう風に治療します、という情報集めで終わってしまっている。「ところが君は、何が起きても丸ごと全部一生懸命みて解決しようとしている。丸ごと患者さんに食らいつこうとしている。医局の中に一人そういうドクターがいることで、白血病の治療の成績が数%は変わるんだ」と宮崎先生が言う。その時に初めて、田舎の病院で一人の人間を丸ごと、必死になって診ていることが決して悪いことではないと気づいた。オタオタしていた僕は、宮崎教授のお陰で、田舎の病院でもいいんだ、と気がついた。それで諏訪中央病院に戻った。

 それでも何度も揺れましたよ。父親が「何でお前、東京に戻ってこないんだ」って言う。母が若くして死に、父が一人になった。僕を生んでくれた父や母は僕を育てられず、捨てて、育ての父はタクシーの運転手をしながら、貧乏ながらも僕を拾い育ててくれた。その恩人を東京に置いている。だから僕は「東京に帰らなくちゃ」と思い、いつも揺れた。

 「帰ります、来年辞めます」って言った時、事務長が「うちに飯を食いに来い」と言う。僕はご飯に弱い。子どもの時、母が入院して父がタクシーの運転手をして夜中まで帰ってこない時、隣のおばさんたちがご飯を食べさせてくれたから。事務長の家に行くと、事務長が泣きながら、「鎌田先生が来て、累積赤字4億円が少しずつ減って、病院に光が見えました。もう1年いて欲しい」と言う。僕は義理と人情で生きていることもあり、ご飯も食べちゃったので、断れなかった。「仕方ないな、1年いようかな」と思う。でも女房も東京の人間。子どもが生まれ、知らないところで、一人で子育てするのは大変。次々に揺れてきました。

 茅野市は、脳卒中がものすごく多い地域で、年間80回地域に出て健康作り運動をして、減塩運動をした。食事を薄味にして、食物繊維、魚、野菜を食べるようにしていくと、脳卒中は減っていく。血管が若々しく保てれば、脳血管性の認知症にもならないし、心筋梗塞にもなりにくくなる。その成果が出て、日本でも有数の長寿地域になる。長寿になると、高齢者が増えるから医療費も上がるはずなのに、僕たちの地域の医療費はむしろどんどん下がった。健康作り運動を医師と住民とが一緒になってやることで、すごい成果が出た。やりがいがあった。

 だけど、自分の妻や子ども、東京に残した父のことを考えるとオタオタする。北海道の地域医療を考えると、地域に出た先生はみんなそういう問題で、オタオタしているはず。医師のわがままではない。医師にとっては、自分の腕を磨いていかないといけないという大きな問題も抱えている。政府や国民にこのことを理解して欲しい。36年間、いつも揺れながら、地域医療の道を進んできました。

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