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[中高生の部]優秀賞 「終末医療という選択肢」

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 北沢 祐香里(きたざわ ゆかり)さん

 埼玉県川越市 17歳・高校2年


 

 今日の世界において科学は著しく発展し続けており、医療もその中のひとつである。科学の力によって、昔では考えられないような高度な医療技術が生み出されてきた。

 しかし、その技術を使うことによって、人の尊厳が損なわれるのではないかという意見もあり、医療に対する様々な考え方が生じている。私は、その一例である終末医療に関する身近な体験をし、医療について深く考えさせられた。

 終末医療とは、回復の見込みのない患者の末期に、苦痛を軽減し、精神的な平安を与えるために施される医療のことだ。

 私の祖父は5年ほど前に食道癌(がん)が見つかり、必死で闘病生活を続けたが、あるとき、もう治療方法がないことを告げられたそうだ。まもなく、それまで壁も床も天井も真っ白で最低限必要な物しか置かれず、周りとカーテンで区切られた共同の病室にいた祖父は、別の病院の個室へ移った。

 その部屋は木を基調としたやさしい雰囲気で、家具や人形も飾られた、感じの良い部屋だった。祖父は呼吸が苦しかったらしく、前の病院では寝たきりだったが、その病院に移ってからは、車椅子(いす)を押してもらって外へ散歩に出ることもあった。

 何も知らされていなかった私は、祖父の病気が快方に向かっているように感じ、安心感を持った。

 それからしばらくして、祖父は亡くなった。私はあぜんとした。良くなると信じていただけにショックで、毎日が淡々と過ぎていった。そんな頃、亡くなるまでずっと祖父の看病をしてきた母が終末医療について教えてくれた。終末医療、すなわちターミナル・ケア。最後まで手を尽くして治すことに努めるという今までの精神とは違った、新たな考え方だった。

 私は、祖父がもう治らないと告げられていたことはそのときまで知らなかったが、母はその宣告を聞いて終末医療を選んだのであった。私はそれを聞かされたとき、最後まであきらめなければどうなっていたのだろうと思わず考えてしまった。

 治らないと言われたら、闘うことをやめるということがいいことなのだろうか。

 たしかに、患者の立場に立ってみれば、もう治らないのだと言われたのなら、時には苦しいこともあるような闘病生活を続けるよりも、少しでも楽しい生活をした方が楽なのかもしれない。つらく苦しい手術やリハビリを続けなくても良くなれば、荷は軽くなるだろう。

 しかし、それでも私は最後の瞬間まで治療することをあきらめないでほしかったと思った。生きている以上、治る可能性は0・1であっても0ではないからだ。どんなに苦しい治療でも、どんなに可能性が0に近い治療であったとしても、私は、あきらめずに受けてほしかった。

 祖父は、生きることにかなり前向きな人だったため、私にとって、その祖父が終末医療という選択肢を選んだということは信じ難く、本当に残念でならなかった。

 祖父は、もう自分の身体を治療するのが難しいのだということを話されたのだろうか。話されたのだとしても、どうして終末医療という道に進んだのだろうか。仮にもしも私が、そういった状況に陥ったとしたら、私はどんな行動を選ぶのだろうか。やはり祖父と同じ道を選ぶのだろうか……。

 私はどんなに考えをめぐらせても、祖父の気持ちや終末医療を選んだ理由を理解することができなかった。

 祖父が亡くなってしばらくし、告別式も済んだ頃、私は仏壇の横に小さな白い紙の切れはしのようなものを見つけた。広げてみると、1枚のメモ帳に、走り書きの字でメモが書き残してあった。

 最初は何と書いてあるのかわからず、元に戻そうとしたが、ふいに「病気」という字が目についた。よく見てみると、食事や入浴などの際の不便さや闘病生活の苦しみや未来への計り知れない不安や恐怖が、かなり詳細まで書かれていた。私は驚き、戸惑ってしまった。今まで十数年間、弱音や泣き言などほとんどこぼしたこともなく、気丈で前向きな性格で、好奇心旺盛だったあの祖父が、そのようなことを思っていたなんて、とても信じられなかった。

 私は、闘病生活のつらさとは、痛みなどの症状に耐えていかなければならないということと、食事の内容に対する不満を我慢して生活しなければならないということくらいだと思っていた。

 しかし、そこに綴(つづ)られた苦しみは、それまでの想像を絶するものだった。半液体状になった食べ物を吸うようにして食べなければならない情けなさで、楽しかった食事が苦痛になってしまったこと。白い壁に囲まれた、消毒液の匂(にお)いがする病室で毎日を過ごさなければならないこと。もっとひどいこともたくさん書いてあった。このまま闘いつづけていたら、祖父はどうなっていただろうか。体が少し快方へ向かう間に、心はズタズタになってしまっていたのではないだろうか。病気と闘うということは、ただ痛みを我慢することとは全く違うのだと、私は初めて気付いたのだった。

 私は今まで、前にも述べた通り、終末医療とはあきらめること、病気から逃げることだと思っていた。しかしそれは、人間らしい生活をして安らかに死ぬための、一つの選択であるのだと思う。こうした医療を含む科学技術が発達していく以上、そのような問題はつきまとうに違いない。私たちはその問題とどのようにしてつき合っていくのか、様々な側面から考えなければならないだろう。

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