心に残る医療 体験記コンクール入賞作品
イベント・フォーラム
[一般の部]入選 「命のつながり」
浜中 順子(はまなか じゅんこ)さん
大阪府枚方市 36歳・主婦
「はい、もうすぐですよ。頑張ってね、お母さん」。年配の女性の優しい声が聞こえた。
破水してから20時間、手術が決まって、私はすべてをセンセイに委ねていた。新しい命を迎え入れるために、母となるために。
陣痛の痛みに耐えながら、一人で震えていた。暑いほどのライトの下にいるのに、寒い。とにかく寒かった。そのうち、センセイが背後に現れた。「では、麻酔するね。ちょっと痛いよ」と言った。注射のため、大きなおなかを精いっぱいまるめて小さくしなる。そして麻酔が効くまで安静にする。
「もうすぐ痛みがなくなるから、陣痛を楽しんどいてね」。センセイの一言が緊張をほぐしてくれる。
時間にして10秒ほどであったとは思う。これからの不安を感じながら冷静にまわりを見つめることができるようになった。緊急手術だったため、あわただしいスタッフとビデオの準備に勤(いそ)しむ夫。
再び強い陣痛を感じ、「痛いです。寒いです。怖いんです」と、近くにいた若い看護師さんに弱音を吐いた。やはり誰かに不安を聞いてほしかった。助けてほしかった。看護師さんは困った表情をし、チラッと頭の上の入り口に目線を動かしたのが見えた。
すると、足音がした。そっと私の右手をとり、握る人がいた。
「はい、もうすぐですよ。頑張ってね、お母さん」。年配の看護師さんだった。
「赤ちゃんも頑張っていますよ。聞こえるかな。みんなが新しい命を待っていますからね」。
手術室には、一定のリズム、つまり私の脈拍音が流れている。バックミュージックかぁ、と笑いそうになったとき、もう一つ、小さなリズムが聞こえるのに気がついた。
そう、子供の鼓動が聞こえていたのだった。その音はこう言っているようだった。
「お母さん、僕はここにいる。ここにいるよ」
目から一筋の水滴がこぼれた。看護師さんの温かい優しい手。手から全身に温かさが伝わる。
私は今、生命の連鎖の輪の中にいる。親から子供へ、そして孫へ、生命が代々つないできた素晴らしい瞬間を今、この私が迎えるのだ。母となる私が、子供の生命を受け止め、この手に抱くのだ。そうだ、誰もが生まれてきたときに最初に経験していることだ。何を不安と思うのか。
もう大丈夫。私は心に決めた。私は子供を守る母になる。何に代えてもこの子を守るのだ。そう思い、決意を込めてぎゅっと右手に力を込めた。
看護師さんは、そんな気持ちを分かってくれたのかもしれない。笑顔だった。この状況の私を救ったのは、見ず知らずの看護師さんの笑顔だった。ありがとう、ありがとう。私を助けてくれたのは、あなたです。守られたことを感じたとき、人間は強くなれる。そして、守られる喜びを知って、誰かを守ることができる。私は子供を守ります。
結局、看護師さんは、子供と対面するまで、ずっと手を握っていてくれた。
子供を胸に抱き、初めての挨拶(あいさつ)を終えた後、私は眠った。温かい優しさと安堵(あんど)感に包まれながら。
翌朝、何度目かの目覚めのあと、初めての授乳をすることになった。若い看護師さんが指導に来てくれて、用意をしている間、わが子を抱いた。尊い命あふれる、小さい光の輝きを抱いているようだった。
あれから6年。弟も生まれ、2児の母となった私は、すっかり「肝っ玉かあちゃん」ぶりが板についてくるようになった。
6年間の間に「幽門狭窄(きょうさく)症」や「てんかん発作」をわずらい、何度か入退院をした長男も、喘息(ぜんそく)とアトピーで苦しんだ次男も、今ではすっかり健康になっている。
子供の生命力はすさまじく、そして強い。自分で乗り越え、大きく成長していく力がある。
病気のとき、私はそばにいてやることしかできないけど、熱にうなされている様子を見ながら、手を握って励まし続ける。病気を乗り越えようとする、生きようとする力を信じて。
後日、友人の見舞いに行くため、その産婦人科へ行く機会があったので、看護師さんの詰め所に挨拶に伺った。その際、若い看護師さんからこんなことを言われた。
「お母さんの手術は、私にとって何度目かの手術立ち会いでした。手術が終わってかたづけをしていたら、お母さんが、朦朧(もうろう)とした意識の中、おじいちゃんとおばあちゃんに『産んでくれてありがとう』って言ってたんですね。そしたらお二人が『こちらこそ生まれてくれてありがとう』って返されたんです。そのやりとりを聞いて、感動し、私はこの仕事をしていこうと決めたんです」
記憶になかったので、思わず顔が赤くなり、照れながらも、幸せな気持ちにさせてもらった感謝の言葉を述べ、産婦人科を後にした。
玄関を出ると、すがすがしい初夏の風が吹いていた。
今日からまた、「肝っ玉かあちゃん」として子育てをしていこうと気合を入れた。
体の奥の元気の源から、ひしひしと力が湧(わ)いてくるのを感じ、新しい一歩を踏み出した。
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