心に残る医療 体験記コンクール入賞作品
イベント・フォーラム
[一般の部]入選 「写真」
鎌田 征(かまだ ゆき)さん
宮城県加美町 41歳・地方公務員
「それでは、新郎新婦ケーキ入刀です!」
スポットライトが、白いドレスとタキシード姿の妹夫婦を照らし出す。おや?と誰もが思っただろう。その隣にもう一組の夫婦が、大きなケーキを前に恥ずかしそうに立っている。私は驚いてカメラを落としそうになった。父と母であった。司会が続ける。
「新婦のお父様、お母様は結婚式を挙げておられなかったということで、新郎新婦のたっての願いで実現いたしました」
妹の目からは、遠目にも分かるほどの大粒の涙がぽたぽた落ちた。父の肩より小さい母は、ますます小さくなって泣いていた。
一昨年11月、〝要精密検査・至急〟の健診結果表を母は勢いよくテーブルに置いた。「お父ちゃん、黙っていたんだよ、こんな大事なものを、車の中に隠していたんだから」
要精密検査・至急とあるそれは、だいぶ前の日付のものだった。以前から医者嫌いではあったが、今回はそれだけではない気がした。日付は妹の結納1週間前になっていた。(お父さん、もしかしてそれで……)。私は父に何も言えなかった。
翌日、母は急いで父を病院に連れて行った。1週間後、今度は結果を聞くため私も一緒に行った。いい結果であるはずがない、足は鎖が巻かれているように重かった。消化器科で名前が呼ばれたが、病院側の配慮だろう、父は別の検査を受けましょうと、看護師さんに連れられて行った。診察室に入った母と私に、先生は父の器管の写真とパソコンのデータを見て言った。
「食道がんです。それもかなり進行しています。手術は不可能です。大腸にも……」
頭をハンマーで殴られるってこんな感じなのか、耳鳴りがした。多分、私の表情が変わらなかったからか、先生は淡々と話し続けた。聴覚が徐々に戻り、次いで目が先生の顔を捉(とら)えた。はっとして隣を見ると、母は泣き崩れ声にならない声で何か言っていた。
「いいですか、これは私たちだけの話です。当院では特別な申し出がない限り、告知をします。しかし、末期だとは言いません」
末期と言われ、母はまた泣いた。母がかわいそうだった。でも父が、目を真っ赤にした母を見たらどんなに悲しみ、そして落ち込むか。
「分かりました。そういう事にします」
先生は驚いて私を見た。場所に合わない大声を出したのは分かっていたが、これ以上そこにいてもどうしようもなかった。(お父さん来るまでお母さんの腫れた目、治るかなあ)。そんな心配ばかりしていた。父が戻り、3人で診察室に入り改めて〝がん告治〟を受けた。しかし父は予想に反して冷静で「あ~そうなんですか」という感じで、それが母を落ち着かせ逆に私を悲しませた。廊下に出てすぐ携帯が鳴った。震える声の妹からだった。
「大丈夫、大丈夫。そんなに悪くないって」
精いっぱい平静を装った。今の妹に、父の本当の病状は言えなかった。半月後結婚する妹には。
今後の入院・診療スケジュールを先生と話し合い、一日も早い放射線と抗がん剤の併用治療を勧められた。父の手前、やんわりと話してくれるが、即入院・即治療開始は一刻の猶予もない事を示していた。私は先生に賛成で、すぐ治療してくれるよう頼んだ。しかし、母は涙ながらに信じられない事を言った。
「先生、下の娘がもうすぐ結婚するんです。結婚式が終わってからではだめでしょうか」
「お母さん、何言ってるの? 早く治療しなきゃだめだよ(間に合わないよ)」
先生は私を見て首を縦に振ったのだが、
「娘の大事な時に、私がこんな体になってしまって申し訳ない。治療をしながら式に出て、万が一倒れたりでもしたら娘がかわいそうだ」
今まで黙っていた父が、意を決したかのように言った。
その夜、帰宅した妹に父ががんである事を伝えたが、すぐに現実を受け入れられない妹は長い時間泣きじゃくった。しかし
「なあに、結婚式が終わってから、ゆっくり治療すればいいんだってさ。心配ないって」父の口から出たその言葉に妹は少し安心し、
「それならよかった。私ね、教会のバージンロードをお父さんと歩くのずっと夢だったの。それと、式ではお父さんとお母さんに私たちからサプライズがあるんだよ」
そう言ってやっと笑顔を見せた妹に、私たちは胸が苦しくなった。妹にとって、父にとって、最高の結婚式にしたい、そう思った。
天使の歌声の中、大きな扉が開いた。幾晩泣いたのだろう。腫れた目を化粧で隠し、いじらしいほど笑顔をつくる妹が、父と一歩一歩ゆっくり歩いて来た。
今、父はいない。茶の間にある、あのサプライズのケーキ入刀の写真。あの時は気付かなかったが、母にそっと寄り添う父の目はとても優しく、そして小さく光る涙があった。
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