文字サイズ:
  • 標準
  • 拡大

心に残る医療 体験記コンクール入賞作品

イベント・フォーラム

厚生労働大臣賞「心に残る言葉」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

 野田 留理(のだ るり)さん

 熊本市 47歳・高校非常勤講師


 

 もう20年以上前のことである。

 当時私はまだ新任教師で、初めてクラス担任を任され、ただもう一生懸命という感じだった。失敗してもしかたがない、自分はまだ新米教師なのだから、熱意を持ってぶつかればいい! そう思っていたのだ。

 私の受け持ちのクラスに膠原(こうげん)病で入退院を繰り返し2年留年していたみどり(仮名)という子がいた。中学生のときまではバスケットボール部に所属する明るくて活発な生徒だったのに、ある日突然発症したそうだ。どうにか症状も落ち着いて復学できることになったのだが、完治したわけではないので注意が必要だった。あるとき、夜急に手が痛くなり、また病院へ戻ってしまった。翌日母親は憔悴(しょうすい)しきった声で電話をかけてきて、しばらく入院することになったと言った。手が引きちぎれんばかりの痛さに「こんな手、もういらない! 切り取って!」と泣き叫んでいたらしい。私には想像もできないほどの激痛と、あぁまた病院に戻ってしまったという落胆で、どんなにか落ち込んでいるだろうと思うと胸が痛んだ。私もできる限り時間を見つけて毎日病院に顔を出すようにした。みどりも最初は心を閉ざしていたが、少しずつ落ち着きを取り戻し、笑顔で私を迎えてくれるようになった。

 みどりの担当ナースに山田さん(仮名)という新人ナースさんがいた。ナースというお仕事は見ていても本当にハードだったが、山田さんはいつも笑顔で疲れた顔も見せず、みどりに優しく接してくれた。一生懸命さがこちらにも伝わってきて、私も同じく新米社会人ということで親しみが持て、よく話をするようになっていった。いつものようにみどりのお見舞いに行くと、ちょうど山田さんがみどりの病室から出てきたところで、「先生、ちょっとお話ししましょうか」と私を病院内の庭に連れ出してくれた。

 「きのう、また調子が悪くなってちょっと今荒れているので……」と山田さんが切り出した。

 「いえ、体調は落ち着いたのですが、昨日の私のフォローが悪かったせいか、今日は一言も口を利いてくれませんでした」

 「そうですか……。でも山田さん、本当によく頑張ってらっしゃいますよ。1年目のナースさんだなんて思えません。私も日々失敗だらけです。山田さんも私もきっとこれからいろんなことに熟練してきますよ!」

 なんとなく、いつもの元気がない山田さんを励ますつもりで言った言葉だった。だが、次の瞬間、彼女の言葉に思わずハッとしてしまった。山田さんは大きな瞳でまっすぐ私を見るとこう言った。

 「確かにそうですね。私は経験も浅く未熟です。それはしかたありません。まだ1年目なのですから。きっとこれから熟練したベテランナースになると思います。いえ、なるよう頑張ります。でも……」

 ここで彼女は大きく息を吸い込んだ。

 「でも、今の私の患者さんには今しかないんです。私はこれから何度でもやり直しができるけど、未熟な私が受け持った患者さんたちは、私が未熟だった時をやり直すことはできないんです。1年目だろうと10年目だろうと、そんなこと、患者さんたちには関係ないんですよ」

 私はいきなり冷水を浴びせられたようなショックを覚えて次の言葉が出てこなかった。自分はいったい何を甘えてたんだろう。生徒たちだって同じだ。未熟な私が教えた1年は、あの子たちにはやり直しがきかない大切な1年なんだ。新任だろうとベテランだろうと、生徒たちにとっては決して繰り返すことのできない年月なのだ。目の前にいる生徒は私がベテランになるのを待っていてはくれない。そういう気持ちで生徒と向き合わなければいけないのだと、山田さんに教えられた気がした。帰り際、談話室のところに大きな七夕の笹(ささ)があった。ふとそばに寄るといろんな願い事が目に入った。

 「お兄ちゃんの手術がうまくいきますように」

 「美人でなくてもいい。もっともっと生きられますように」

 「どこも痛くも、苦しくもない日がきますように」

 どれもこれもみな、健康であれば当たり前のことであった。その当たり前のことを必死で短冊に祈りをこめて書いた幼い子供たちがいる。こういう子供たちを相手に、山田さんが必死で頑張っている姿を私は一生忘れない、と思った。

 やがて、みどりも退院した。あれから20年あまりがたつ。私はもうすっかりベテランと呼ばれる域に達したが、あのとき心に誓ったことを決して忘れずにやってきた。きっと山田さんも立派なナースになっていることだろう。毎年七夕の季節になると、あの夏を思い出す。

◇   ◇   ◇

 忘れられないお医者さん、やさしかった看護士さん、助け合った家族、介護で出会った人々――。全国から1597編が寄せられた、第28回「心に残る医療」体験記コンクールの入選作品を、ここにご紹介します。

 主催:日本医師会、読売新聞社
 協賛:アフラック(アメリカンファミリー生命保険会社)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

イベント・フォーラムの一覧を見る

心に残る医療 体験記コンクール入賞作品

最新記事