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ケアノート

医療・健康・介護のコラム

[小林節子さん]山村生活 気持ち楽に

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友人たちと まるで合宿

「母が口癖のように『節子は幸せね、いいお友達がたくさんいて』と言います。本当にそう思います」(東京・港区で)=飯島啓太撮影

 フリーアナウンサーの小林節子さん(64)は、仕事をしながら10年以上両親を介護してきました。一人で介護を抱え込み、苦しんだ時期もありましたが、長野県原村に移り住んでからは、地域の人々や友人らの助けを得て、気持ちが楽になったといいます。

 1人で両親介護

 横浜で暮らしていた両親に異変が起きたのは1997年、父(慎一さん)が90歳、母(文代さん)が81歳の頃でした。

 まず、母が料理をしなくなりました。実家は坂の上にあるので、買い物が大変だったのでしょう。コンビニでおにぎりやおかずを買って済ませるようになりました。家の中は掃除が行き届かなくなり、庭も草ぼうぼう。父も、一日中居間に座ってテレビを見ているばかりで、全く動かなくなってしまいました。

 テレビの生放送番組「レディス4」の司会をしていた小林さんは東京にマンションを借り、週末だけ実家に戻る生活だった。「もう限界」と感じた小林さんは、99年に実家の家を処分。東京に両親を呼び寄せた。

 しかし、この転居が、結果として母の状態をますます不安定にしてしまったようでした。実家とは、水道の蛇口も冷蔵庫も違う。仕事から疲れて帰ると、母が水を出しっぱなしにしたり、野菜をすべて凍らせたりしていて、「何やってんのよ」とひともんちゃく。認知症と診断された母をデイサービスに預けようとしても、母は「なんでこんな所に私を連れて来るの」と怒って抵抗します。

 高齢の父も要介護認定を受けました。地方の仕事が入って両親をショートステイに預けたくても、2人一緒に預かってくれるところがない。この頃が一番大変でしたね。

 その頃、小林さんは長野県原村にペンションを購入した。70歳ごろから絵を描き始めた父は、よく信州にスケッチ旅行に出かけており、「将来は田舎に住みたいね」と3人で話していた。その夢への第一歩だった。

 ペンション購入

 月に2~3回、車で両親を原村に連れて行くようになりました。すると、両親は次第に生き生きしてきました。2人とも若い頃から、旅行やドライブが大好きだったのです。

 30人は泊まれる建物なので、私の友人たちもわ~っと泊まりにきて、いつも10人くらいで食卓を囲みます。

 母が昔、銀座でデパートガールをしていた頃や、両親が横浜で映画館を経営していた頃の話を、皆が両親に尋ねてくれて、両親もうれしそうに話していました。

 大きな建物を買ったのは、人が集まる場所にしたかったから。「人の輪をつなぐ仕事がしたい」という自分自身の夢もありましたが、両親にもそれが刺激になるのでは、という思いもあったのです。

 素直に助け借り

 私自身にも変化がありました。両親の介護が始まった当初は、認知症の母を人目にさらしたくない気持ちがあり、他人の助けを借りることに抵抗がありました。散らかった家の中を見られたくないという見えもありました。

 ところが、原村で、常に誰かが出入りしている合宿所みたいな生活を送るうちに、まったくそれが気にならなくなり、人の助けを求めることができるようになりました。

 2000年には敷地内に小さなホールを建て、コンサートやトークショーを開くようになったのですが、それがきっかけで地元にも友人がたくさんできました。

 「レディス4」の仕事が04年に終わったこともあり、06年春には東京の家を引き払い、原村へ移住しました。私が仕事で留守にしなければならない時は、原村でできた友人や、東京から遊びにきた友人が両親をみてくれました。

 両親は、近くの幼稚園で開かれた演奏会に招かれたり、私の友人にドライブに連れ出されたり。私のホールで開いた永六輔さんの講演を熱心に聞くなど、原村の生活を楽しんでいました。私の気持ちも楽になり、母の認知症も少し落ち着いたように見えました。

 しかし、その年の秋、母がショートステイ先で転倒し、右大たい骨を骨折。4か月間の入院を経て自宅に戻った母は、車いすに乗り、トイレ介助も必要な状態。夜中に父と母2人のトイレに付き添うのは限界があり、07年秋、小林さんは母を横浜市内の特養ホームに入居させた。

 父は100歳の誕生日を迎えた後くらいから、気力が落ちてきた気がします。そのうち自分で「要らない」と言って何も食べなくなってしまいました。私には、父が自分の人生に自分で区切りをつけたように見えました。無理な延命をすることなく、08年2月、自宅で静かに見送りました。

 今、母は施設にいますが、原村で、友人たちと共に両親を見守る生活ができたことに感謝しています。これからはできるだけ母のもとに通いたいと思います。(森谷直子)

 こばやし・せつこ フリーアナウンサー。1945年、福島県生まれ。慶応大卒。フジテレビに6年間勤務した後、フリーに。テレビ東京の情報番組「レディス4」の司会を約20年間担当。2000年、長野県原村に「(りん)(しゃ)リングリンクホール」を設立。コンサートや講演などの企画・運営を行っている。

◇ ◇

 ◎取材を終えて 30人が宿泊できるペンションだった建物を購入した時、「両親と自分自身の老後のためのグループホーム的な場所になれば」という思いもあったという。父を見送り、母が施設に入った今、同年代の女友達とは「将来はここで助け合って暮らすのもいいね」と話しているそうだ。家の中の風通しを良くし、介護を一人で抱え込まないという考え方は、多くの人の参考になるのでは、と感じた。

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