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ケアノート

医療・健康・介護のコラム

[折元立身さん]「息子介護」 近所と連携

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日頃から付き合い大切に

「母(右)は僕の芸術の理解者。僕が芸大受験に7回も失敗した時も応援し続けてくれた。できるだけ、そばにいてやりたいと思っています」(川崎市で)=小浜誓撮影

 現代美術作家の折元立身さん(62)は、認知症の母、男代さん(90)をモデルにした写真などを「介護アート」として発表しながら、13年以上、在宅介護を続けています。

 独身男性が親を介護するいわゆる「息子介護」ですが、サービスを積極的に利用し、介護職や近所の人たちとのコミュニケーションを大切にしながら乗り切っています。

 母は耳がほとんど聞こえません。声は時々出しますが、数年前から言葉を話さなくなりました。「取材の人が来ます」などと書いたメモを見せると、理解できます。左足の静脈血栓などのため、外出は車いす。要介護度は4です。

 60歳代後半まで働いていた母の体調がおかしくなったのは、1996年に父が亡くなる少し前から。内臓疾患で検査入院した際にうつ病になり、曜日がわからないなど認知症の症状も出始めました。

 母モデルに写真

 僕は77年に米国から帰国してから両親と暮らしていました。父が亡くなった時、「どうやって母の面倒をみようか。仕事は続けられるか」と途方に暮れました。そんな時、母をモデルにして作品を作ることを思いつきました。

 折元さんは「芸術はリアリティーが命。介護をする生活にこそ、リアリティーがある」という。身長1メートル30の男代さんに巨大な靴を履かせた「スモールママ+ビッグシューズ」、男代さんら3人の高齢女性の首に自動車のタイヤをかけた「タイヤチューブ コミュニケーション」など、どこかユーモラスな写真は、海外で高く評価されている。

 介護を始めた96年は介護保険施行前でしたが、行政の高齢者在宅サービスを利用して週3回、ヘルパーに来てもらって仕事を続けました。

 今はデイサービスと訪問看護を週2回ずつ利用し、ヘルパーには毎日来てもらっています。母は家では横になって過ごすことが多く、テレビは好きな相撲とプロ野球を見るぐらい。トイレに行きたくなると、トイレの方向を指さします。立ち上がって歩き出すまでが大変なので手助けしますが、あとは自分で用を足し、帰りは伝い歩きしながら1人でスタスタ戻って来るので助かります。

 僕は家で創作します。午後6時には終えて缶ビールを開け、母と2人で乾杯します。ただ、母はビールの2本目を許してくれません。痛風持ちの僕がビールを飲み過ぎてはいけないと、必死で止めるのです。認知症といっても軽いのでしょう。いろんなことがわかっている。

 展覧会参加などのため、折元さんは隔月程度の割合で、男代さんをショートステイに預けて海外に出かける。出発の2日ほど前に「外国で展覧会があるからショートステイに行って。ごめんな」と筆談で伝える。男代さんは「うん」と答えるものの、表情は曇るという。

 今年5月、米国から帰国した時、ヘルパーがショートステイから戻る母を迎え、夕食も整えてくれました。でも僕が午後10時に帰宅すると、母は食事にほとんど手をつけずに待っていました。ヘルパーが「立身さんが帰って来ます」とメモを置いて帰ってくれたからです。

 予定より1時間遅れたのに、母は待っていた。涙が出ます。でも僕には海外は仕事の場で、リフレッシュの機会。母のことは気がかりだけど、日常と違う場所の空気を吸いに行くことが大切だ、という気持ちです。

 家でみとりたい

 外国では、近所の人にちょっとしたお土産を買います。僕が留守の時に火事などの事態が起きたら、母を助け出してもらうことになります。日頃が大切、と思うのです。

 男性の中には近所づきあいやヘルパーとの会話が苦手な人が多いでしょうが、僕はおしゃべりが好きだし、全く苦にならない。おかげでショートステイ先に母の様子を見に行ってくれる人も、母と車いすで外出しているとあいさつしてくれる人もいます。

 ヘルパーやケアマネジャーは、高齢者だけでなく介護する人のこともみてくれている、と思います。うちの引き継ぎノートには「男代さんお元気。立身さん、痛風でおつらそう」などと書いてくれます。多くの人の連携で支えてもらっていると実感します。

 母は僕に才能とこの明るい性格をくれた人。感謝してるし、長生きしてほしい。仕事でもっと成功したいし、介護の犠牲になってはいけないとも思いますが、母の命の方が大切。最後まで、家でみとりたいと思っています。(聞き手・長谷川敏子)

 おりもと・たつみ 現代美術作家。1946年、神奈川県生まれ。69年に渡米し、カリフォルニア州の芸術大学で学んだ後、ビデオアートの旗手、ナムジュン・パイクの助手を務めた。世界最大級の国際美術展、ベネチア・ビエンナーレ(2001年)などに参加。母の介護をテーマにした写真などを「アートママ」シリーズとして発表している。

◇ ◇

 ◎取材を終えて 「お母さんが大好きです」「あなたは今年で90歳です」 居間には、折元さんが男代さんのために書いた様々なメモがはってある。「二人で生きていくしかないよ」という1枚を見つけてドキッとした。だれも訪ねて来なかった正月、「寂しいね」と書いたという。周囲の力をうまく借り、「介護はアート」と話す折元さんでさえ、そんな気持ちになる時がある。介護者を襲う孤独感や無力感と、その支援の難しさを改めて思った。

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