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ケアノート

医療・健康・介護のコラム

[本田美奈子さんの母 工藤美枝子さん]白血病治ると信じて日記

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病気の子には笑顔で

埼玉県の東武東上線朝霞駅前には、記念のモニュメントが建てられた。「休みの日には、私が眠ってしまうまで全身をマッサージしてくれた。やさしい娘でした」(川口正峰撮影)

 急性骨髄性白血病で2005年11月に亡くなった歌手で女優の本田美奈子(本名・工藤美奈子)さんの母、工藤美枝子さん(68)は、美奈子さんの入院直後から日記をつけ始めました。美奈子さんの様子をつづり、日々の支えにしました。治ると信じ、美奈子さんの前では笑顔を心がけました。

 美奈子は白血病の告知を受けてから、10か月で亡くなりました。短かった。私は直前まで必ず治ると思っていましたから、目の前で亡くなったと言われても、まさか、としか思えませんでした。

 舞台は降板

 全国6か所で行うコンサートを前に、3日間の人間ドックを受けることにし、その事前検査で病気がわかりました。その1か月ぐらい前から、めまいや微熱が続くなど、異変は感じていました。

 仲の良い親子でしたから、よくお風呂に一緒に入りました。ある日、私が先に上がると「脱衣場で待ってて」と言います。貧血を起こすことがあるから、と。心配して尋ねても「大丈夫!」「すぐ治るから」と、元気そうに振る舞っていました。

 05年1月、東京都内の病院で検査を受け、医師団から病名を告知される。話に聞き入る美奈子さんの手が、震えているのがわかった。出演が決まっていたミュージカル「レ・ミゼラブル」「クラウディア」は、降板することになった。

 「病名は白血病。血液がんです」と言われても、ピンときませんでした。デビュー20周年で、活躍の絶頂にあった時です。突然の宣告で即入院、即無菌室入り――などということが一度に起こって、家族としては、何か夢を見ているような感じでした。

 何が何だかわからなくて、びっくりして涙があふれて、胸が苦しかったのを覚えています。美奈子には「がんばるから、心配しないで」なんて励まされてしまって。日記の初日には「私が代わってあげたい」と書いています。

 日記は入院3日目から始めた。治療内容のほか、美奈子さんの様子がイラストで描かれている。最初のページには、抗がん剤治療に備えて長い髪をバッサリ切った顔。「全身にチューブ。痛々しい」というつらい絵の日もあれば、「きょうは病院の売店に買いもの。歩く姿も生き生きしている」など、鼻歌まじりの表情が描かれている日も。

 病院から帰ると、日記はその日のうちに書きました。書いていると涙があふれて鼻水も出て来て。でも必ず治ると信じ、毎日続けました。「こんなに大変だったのね」「これ、似てる~」などと、後で見て一緒に笑おうと思って。

 美奈子も復帰への強い意欲を持ち続けました。無菌室で2か月間過ごし、別の病室に移る時のことです。多くの患者さんは車いすや介助が必要なのに、美奈子は自分の足で歩ききったのです。無菌室で一人、トレーニングしていたのだと思います。その後も病院の階段を上り下りし、廊下を何往復もして体を鍛えていました。

 夏にいったん退院し、通院治療を続けた。「すごく元気になっていた」退院4週目、主治医に呼ばれた。生活上の注意などを伝えられるものと思って訪れると、再発を告げられた。9月に再入院。

 それからは電話が鳴るだけで、ドキッとして跳び上がりました。ドクターからの電話にいい話はなかったから。

 美奈子の日々の変化にも、一喜一憂しました。今日は笑っていたな、食べられたな、など。少しでも笑った方が病気が逃げていくんじゃないかと思って、今日は何を言って笑わせようか、電車の中で考えながら病院へ通いました。

 日記は11月1日で終わっている。翌2日、容体が急変。家族や友人に見守られながら、11月6日に亡くなった。38歳だった。

 娘は今でも支え

 この日記を見ると、支えるつもりだった私の方が、美奈子に支えられていたことがわかります。私にとって、美奈子は今でも支えなんです。いつ帰ってきてもいいよう部屋はそのままにしてあるし、掃除をして、布団は夏と冬とで交換します。パジャマも1週間に1度、洗っています。これからも、ずっとそうしていくと思います。

 我が子が自分より早く亡くなるなんて、誰も考えていないでしょう? 私も娘のお墓を作るなんてこと、本当に考えられなかった。

 子どもが重い病気になったら、お母さんは泣かずにはいられないと思います。でも、子どもの前では笑顔で頑張ってほしい。あなたなら大丈夫、早く学校に行こう、おうちに帰ろう、と励まし続けてほしいのです。お母さんが悲しい顔をしていたら、子どもはその何倍も気を使うから。

 病気はドクターに任せるしかないけれど、培ってきた親子関係は私たちだけのもの。母親が、家族が、子どもの心を支えないと。それには、笑顔が大事なんです。(聞き手・月野美帆子)

 くどう・みえこ 1941年、東京都出身。美奈子さんの死後、地元の埼玉県朝霞市での追悼イベントや児童相談所の入所児の支援に取り組む。NPO法人「リブ・フォー・ライフ美奈子基金」の発起人の一人として、白血病や難病に苦しむ人の支援活動を続けている。

 ◎取材を終えて 「美奈子の前では泣かないようにしていたけれど、本当は泣いてばかりだった」という美枝子さん。闘病中、夜中に目が覚めて眠れなくなってしまうことがしょっちゅうだったという。そんな時は、泣き疲れて寝てしまうまで、1人で声を出して泣いたそうだ。取材のために久しぶりに手に取ったという日記をめくり、また涙。「笑顔が大事よ!」と言うことで、今も自らを元気づけているのかもしれない。

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