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ケアノート

医療・健康・介護のコラム

[新田恵利さん]突然の母親介護生活…心の準備なく 家族と奮闘

「ブログに母のことを書くと、読者の方からアドバイスを頂いたり、励まされたり。たくさんの人に支えられていると感じます」(横浜市で)=栗原怜里撮影

 タレントの新田恵利さん(47)は、骨粗しょう症のため寝たきりになった母、ひで子さん(86)を自宅で介護しています。

 介護は予想外の形で始まり、何もわからずに苦労したといい、「親が元気なうちに、少しでも準備しておけばよかった」と振り返ります。

圧迫骨折

 

 母とは神奈川県内の2世帯住宅で同居しています。母は約20年前、骨粗しょう症による背骨の圧迫骨折を起こし、その後も数年ごとに圧迫骨折を繰り返しています。最初はその度に入院していましたが、1週間ほど安静にすれば痛みが収まり、元の生活に戻れるので、最近は自宅で様子を見るようにしていました。

 ところが昨年9月、5回目の圧迫骨折を起こした母がひどい痛みを訴えて、自分から「入院したい」と言い出した。

 入院して10日を過ぎた頃から、母の言動がおかしくなってきたんです。「なんで恵利が政治の番組に出ているの」と、私が出演していない番組の名前を出して聞いてくる。あれ、と思っているうちに、今度は30年前に他界した父のことを「お父さんは家で何をしているかしら」と。まずい、このままでは母が認知症になってしまうと考え、早めに退院することにしました。

 10月初めの退院の日、母をタクシーに乗せようとすると、母が車いすから立ち上がれないのです。リハビリもしていると聞いていたのに、どうして?とショックでした。

 何とかタクシーに乗せて帰宅すると、東京に住む兄が私の自宅で迎えてくれました。でも、兄も歩けない母を見てびっくり。入院前までは普通に歩いていたんですから。

 兄が母をタクシーから家の中まで連れて行こうとしましたが、どこをどう支えたらいいのかも分かりません。ようやくベッドに母を寝かせるまでに、兄は汗びっしょりになっていました。

母、ひで子さんと。「愛情たっぷりに育ててもらいました」(2014年春ごろ撮影、恵利さん提供)

 介護が必要になるとは思ってもいなかったので、介護ベッドなど用意していません。しかも、母は骨粗しょう症で背骨が痛いので、柔らかめのベッドを使っていました。母のおしめを替えるのも初めて。柔らかいベッドから転落しないよう片手で母の体を支えながら、もう片方の手でおしめを交換しました。私も汗びっしょりです。

 どこに相談すればいいのか全く分からず、とりあえず役所の福祉課に電話すると、「地域包括支援センター」を教えられました。早速連絡すると、翌日の午前中にケアマネジャーさんが来て、てきぱきと手配を進めてくれました。母は要介護4と認定され、居間に介護ベッドを設置しました。

兄と夫と

 

 その後、独身の兄が2世帯住宅の母の部屋に住み込み、兄と夫と3人で手分けして、介護を続けている。

 兄は飲食店勤務で、夕方からの仕事なので、私が昼間に仕事がある日は母の世話を頼んでいます。夜中のおしめ交換も、隣の部屋で寝ている兄がしており、今、一番負担が重いのは兄ですね。ですから、兄が休みの日は私が家にいて、兄に自由に過ごしてもらうように心がけています。

 夫は、母の食事を用意する人が誰もいない時、弁当を買って帰るなどしてくれています。「おしめ交換でも何でもするよ」と言ってくれますが、母は抵抗があるようで、それはしてもらっていません。

 入院中に認知症かと思った母の症状は、高齢者が急に環境が変わった時によく起きる「せん妄」だったようで、今は母がおかしな言動をすることはなく、落ち着いています。

 ひで子さんは昨年末、肺気腫で約20日入院したが、その後は回復。現在は2週間に1回、近くのクリニックの医師の往診を受けるほか、週1回の訪問入浴、週2回の訪問リハビリを利用する。

予備知識

 

 母は入院当初に比べ、だいぶ元気を取り戻しました。リハビリも頑張り、最近では、おしめ交換の時に腰を持ち上げてくれるので、私もだいぶ楽になりました。

 当初は、3月の私の誕生日までに、トイレに歩いて行けるようにという目標を立てていました。それは間に合いませんでしたが、今度は6月の私たち夫婦の結婚記念日までに、と頑張っています。

 車いすで外出できるまでになれば、デイサービスや通所リハビリに通ったり、ショートステイを利用したりも可能になります。社交的でおしゃべりが大好きな母の生活にも張りが出るでしょう。

 介護は突然やってきます。親の衰えを頭では分かっても心が受け入れられない。気持ちの整理がつかないままに、介護生活を整えていかねばなりません。親がある程度の年齢になったら、介護の予備知識を仕入れて、勉強や準備をしておいた方がいいのだなあと切実に思いました。(聞き手・森谷直子)

 

 にった・えり 1968年、埼玉県生まれ。85年、アイドルグループ「おニャン子クラブ」の一員としてデビュー、人気を博す。翌年ソロデビュー曲「冬のオペラグラス」がヒット。その後、女優、作家、エッセイストとしても活躍。現在、テレビ神奈川の情報番組「ありがとッ!」にレギュラー出演中。

 

 ◎取材を終えて 介護に直面した時、予備知識が何もなく「マニュアル」が欲しかったという新田さん。「私の体験が誰かの役に立てば」と、介護生活のあれこれをブログでつづっている。記者も新田さんと同世代だが、40代は仕事や育児で忙しい盛り。親の健康が気になりながらも、何から準備すればいいのか分からず、そのままになっている人も少なくないのでは。そんな私たちにとって、新田さんの話はとても参考になると感じた。

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