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医療・健康・介護のコラム

体外受精で妊娠、出産後 凍結した受精卵をどうすべきか悩んだ45歳女性が下した決断

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 不妊治療の技術は日進月歩で進み、凍結の技術も進んでいます。今は多くの方が複数の受精卵をいったん凍結し、移植する方法を取っています。無事、妊娠して出産した後、使わずに残った受精卵の扱いはカップルの判断に委ねられています。悩みぬいた末に決断を下したある夫婦のエピソードを紹介します。

45歳で出産した人もいるから、まだ大丈夫

体外受精で妊娠、出産後 凍結した受精卵をどうすべきか悩んだ45歳女性が下した決断

 IT企業に勤めるMさんは、39歳の時に趣味のテニスで知り合った男性と結婚しました。結婚と同時に、出産のことも気になりましたが、45歳くらいで出産した人の話を思い出し、「まだ大丈夫だ」と自然に任せて積極的な妊活はしませんでした。ところが、同期が3年も不妊治療をしているのになかなか妊娠できないという話を聞いて、「『これはまずい!』と、夫に相談してできるだけ早く治療を始めることになりました」。

人工授精では妊娠できず、体外受精へ

 Mさんはインターネットで調べ、評判がよさそうな不妊治療専門クリニックを訪ねました。そこで医師から「年齢が年齢なので、少し急いだほうがいいですね。何回か人工授精を試みて、それで妊娠につながらないようだったら、体外受精をすることをお勧めします」と説明を受けました。クリニックを訪ねたその月には初めての人工授精を受けましたが、残念ながら結果は陰性。その後3回の人工授精を受けましたが、それでもやはりMさんは妊娠することができませんでした。そして、体外受精を受けることになりました。

初めての体外受精でまさかの妊娠

 排卵誘発剤等の副作用にも耐えながら、初めて臨んだ採卵では、五つの卵子が採れました。そのうち、三つの受精卵が胚盤胞(受精から数日たった受精卵。胎盤と胎児になる部分が確認できる状態で、着床の準備が整った状態)になりました。すべてをいったん凍結し、翌月、そのうちの一つを子宮に戻しました。

 そして、なんとMさんは初めての体外受精で妊娠することができました。「本当に私はラッキーだったなと思いました」と、Mさんはその時のことを語りました。

新型コロナでクリニックが治療を自粛

 妊娠中はつわりに悩まされた時期もありましたが、大きなトラブルもなく順調でした。Mさんは41歳で出産、かわいらしい女の子を授かりました。「産んでみると、本当にかわいくて、いとしくて。すぐに、『もう一人ほしい!』という思いが芽生えていました。幸い受精卵はまだ二つ凍結してあったので、できるだけ早いうちに治療を再開しようと夫と話していました」

 ところが、Mさんが治療を再開しようとしていた矢先、新型コロナウイルスの感染拡大でクリニックが治療を自粛、夫婦2人ともリモート勤務になり、外出がままならなくなりました。また、小さな子どもがいるので感染してはならないと用心して過ごしていました。

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松本 亜樹子(まつもと・あきこ)
NPO法人Fineファウンダー・理事/国際コーチング連盟マスター認定コーチ

松本亜樹子(まつもと あきこ)

 長崎市生まれ。不妊経験をきっかけとしてNPO法人Fine(~現在・過去・未来の不妊体験者を支援する会~)を立ち上げ、不妊の環境向上等の自助活動を行なっている。自身は法人の事業に従事しながら、人材育成トレーナー(米国Gallup社認定ストレングス・コーチ、アンガーマネジメントコンサルタント等)、研修講師として活動している。著書に『不妊治療のやめどき』(WAVE出版)など。
Official site:http://coacham.biz/

野曽原 誉枝(のそはら・やすえ)
NPO法人Fine理事長

 福島県郡山市出身。NECに管理職として勤務しながら6年の不妊治療を経て男児を出産。2013年からNPO法人Fineに参画。14年9月に同法人理事、22年9月に理事長に就任。自らの不妊治療と仕事の両立の実体験をもとに、企業の従業員向け講演や、自治体向けの啓発活動、プレコンセプションケア推進に力を入れている。自身は、法人の事業に従事しながら、産後ドゥーラとして産後ケア活動をしている。

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